2010年9月30日

マツジュンのCMにゾッとする

マツジュンと言っても、ジュンク堂書店松山店、のことではありません(笑)。そもそも、いったい誰がジュンク堂書店松山店のことを「マツジュン」と呼んでいるのでしょうか? あっ、あたしだけか?

それはそうと、あたしが言っているのは、世間で言うところの「マツジュン」、つまりジャニーズのアイドルグループ「嵐」のメンバー、松本潤のことです。

彼が最近出るようになったちり紙、いや違う、ティッシュのCM。

あれがすごーく気になるんです。

寝ている、というか、仰向けに寝っ転がっているマツジュンの顔の上に、ティッシュが落ちてきて顔を覆う、あのCMです。

あれ、誰が見たって、歴史上の拷問、暗殺シーンでしょ? 西太后がやったとか、やってないとかって言われてますが、たぶん薄い紙を使って、中国の歴史上では何百、何千もの人が、この方法で殺されているはずです。濡らした紙を顔の上に何枚も重ねていって、もちろん手足は押さえつけて動けなくしておき、そのまま窒息死させるという殺し方です。西太后の映画か何かで映像を見たことがあります。

あたし、初めてこのマツジュンのCMを見たとき、本当にゾッとしました。心の底から震えが来ました。まさか、今をときめくじゃニーズの人気タレントに、あんな暗殺じみたCMをやらせるなんて、悪い冗談としか思えません。どこからか抗議の電話やメールが来ないのでしょうか(?)と、他人事ながら心配になりました。



いや、それとも、あたしが考えすぎなのでしょうか?


同窓会

こんな記事を読んでいて、ふと同窓会について考えてみました。

「同窓会」で元クラスメイトに恋心を抱く瞬間8パターン

そう言えば、少し前に「同窓会」ってタイトルのドラマ、やってませんでしたっけ?

8パターンとは
【1】別人のようにカッコよくなっていたとき
【2】「やさしさ」や「男らしさ」など、昔から知っている良さがそのままだったとき
【3】「かわいくなったな。」と褒められたとき
【4】「昔はちゃんとしゃべったことなかったよね。」と話しかけられたとき
【5】思い出話で盛り上がり、もっとしゃべっていたいと思ったとき
【6】初恋の人を前にして、思いがけず感情が高ぶったとき
【7】以前は頼りなかった男性が、社会人として立派に働いているのを知ったとき
【8】「実はおまえのことが好きだったんだ。」と告白されたとき
だそうです。やはり、同窓会というのは誰しも何かしらを期待し、胸をときめかすものなのでしょうか?

ちなみに、あたしは同窓会って、出席したことがありません。あえて出ていないわけではなく、連絡が来ないだけです(汗)。ただ、連絡が来たとしても出ることはないと思いますが......

昔から、卒業とほぼ同時にそれまでの友人(とも呼べないか)とは交流を絶ってしまうので、中学に入れば小学校の時のクラスメートがどうしているか知らず、高校に入れば中学の時のクラスメートがどうしているか知らず、大学に入れば高校の時のクラスメートがどうしているか知らず、社会人になれば大学の時のクラスメートがどうしているか知らず、という人生を送ってきました。

挙げ句の果てに、そんな状態の上に、大学時代にわが家は引っ越しをしましたので、これで完全に連絡の取りようがなくなったというわけです。恐らく小中高の卒業生名簿のあたしの欄は「住所不明」となっているでしょう。それでこれまで困ったことは一つもないので、今後もこのままだと思います。むしろ、卒業名簿で「連絡先不明」になっていると、変な勧誘の電話がかかってこなくて幸いかもしれません(笑)。

しかし世の中には、卒業しても学生時代の時の友人を大事にし、「一生の友達」などといって付き合いが続いている人もいるようです。そういう人を見て、正直なところ羨ましいと思わなくもないですが、だからといって自分が積極的に学生時代の友人に連絡を取ろうとは思いません。

この数十年、向こうからも連絡がないわけですから、今さら連絡をしたからってどうなるというのでしょう? 何を期待するのでしょう?(あたしが? 先方が?)

それに、そもそも、あたし自身が学生時代のクラスメートと仲良く付き合っているという姿を想像できません。否、そもそも学生時代に限らず、あたしが友達と呼べるような人に囲まれて愉しそうにしている図、というのが全く想像できません。

いつも一人で他人の幸せを妬ましげに、暗ーく覗いている、そんな姿しか想像できないのですが......

2010年9月29日

日本語の哲学へ

ちくま新書『日本語の哲学へ』読了。

久々に、本を読んでワクワクしました。日本語ってスゴイ、というミーハーな読後感もありますが、日本語だからこそ切り拓ける哲学の地平、デカルトからヘーゲル、ハイデッガーなど並居る西洋哲学の偉人を向こうに回し、彼が悩みまくった問題を日本語で捉え直す、それだけでも鳥肌ものの興奮です。

あたしは推理小説はほとんど読みませんが、たぶんそういった本の「この先はどうなるのだろう」「結末はどうなるの?」といった期待に満ちたワクワク感と似た感じではないでしょうか? そのくらい先が楽しみでした。きっと文芸書を読んでいたのでは味わえないような楽しさ、興奮だったと思います。

いや、こうかいてしまうと文芸書をバカにした感じになりますね。そうではありません。興奮の種類が異なるわけですから。文芸書を読んだとのは異なる楽しさ、と言うべきでしょうか?

「こと」と「もの」、漠然とふだん意識もせずに使っているこの言葉、この言葉を著者のように分析していくと、西洋哲学では見えてこないものが見え、西洋哲学では解けなかった問題がいとも簡単に解けてしまう、それってものすごくわくわくすることではないでしょうか? 別にだから日本語がすごいんだ、と偉そうに言うつもりはなくとも、やはり誇らしい気分にはなります。

で、著者もまだまだ「日本語の哲学」の入り口に立ったばかりと書いているように、こういう日本語だからこそ構築できる哲学とはどんなものなのか、日本語だからこそ構築できる哲学とはどんなものなのか、著者の次の著作に期待です。

それにしても、こういった小難しい話を、新書というコンパクトなスタイルtでまとめる力量、そして章立てが実にリズムよく並んでいる構成。そういったところも素晴らしいです。

カタカナ表記

北朝鮮の次期指導者になるのかどうかわかりませんが、とりあえず金正日の後継者として三男坊が決まったとのニュース。

北朝鮮がどういう国であって、拉致問題がどうのこうのといった話は今はおきます。飢餓で国民が苦しんでいるだとか、脱北者が中朝国境を越えて来ているといったことも、とりあえずはどうでもいいです。

あたしが気になるのは三男坊の名前です。

ニュースなど、テレビや新聞、さらにはウェブサイトなどすべてを当たったわけではありませんので、決めつけるような言い方はできませんが、今回の報道で三男坊は「ジョンウン氏」と表記されることが多いですね。

「キム・ジョンウン」だったり、「金ジョンウン」だったりしますが、名前に関してはとりあえずカタカナです。でも、父親は「金正日」と書かれていることがほとんどで、長男、次男も漢字で書かれている(正男、正哲でしたっけ?)ことがほとんどですよね。

なぜ、三男坊だけ漢字表記ではないのでしょうか?

日本語の常用漢字にはない文字を使っているのでしょうか? でも以前、確か「正雲」って書いてあったことがあったような気もするのですが......。あるいは漢字表記が確定していない、少なくとも西側報道陣の中では、どういう漢字を書くのか確かな情報が入手できていないということなのでしょうか? 新聞紙面を見ても、彼だけがカタカナなので非常に違和感を感じます。

そう言えば、いつのまにか「金日成」は漢字でそう書かれても「キム・イルソン」、「金正日」も同じく「キム・ジョンイル」と発音されるようになりましたね、テレビなどでは。これまで中国、韓国、北朝鮮に関しては、名前の漢字表記は日本漢字音のまま読むという伝統というか慣習がありましたが、この数年、現地音で発音するのが標準となってきた感があります。(でも、中国は相変わらず日本人の名前を中国語発音で読んでいますよね? あたしは読みやすい方で読めばいいと思っているのですけど......)

そう言う流れを踏まえたとしても、今回の「ジョンウン」はちょっと異質感がぬぐえません。いったいなぜなのか、どっかの新聞にはちゃんと注記されているのでしょうか?

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