2010年8月23日

ウマが合う

ウィキペディア中森明菜の項を読んでいました。

その中の歌番組でのエピソードとして久米宏の言葉が引用されています。
番組内でも殆ど会話という会話は交わしたことはないが、ちょっとした一言二言で人間というのは『ウマが合う』というのは分かるもの。僕と明菜さんはウマが合っていたと思う。
この前半部分、「一言二言で人間というのは『ウマが合う』というのは分かるもの」ということに関しては、あたしも同意します。別に偉そうに言うつもりはありませんが、あたしの第一印象というのは、かなりの確率で当たるものです。

もちろん、あたしにとっての「印象」でありますが......

で、気になるのは後半部分なんですが、「僕と明菜さんはウマが合っていたと思う」と言っている「僕」とはもちろん久米宏ですが、久米宏と中森明奈が「ウマが合っている」ようには、当時リアルタイムで番組を見ていたあたしにはとても信じられないです。いや、一方的に久米宏が中森明菜を気に入っていただけというのであれば納得できますけど。

そもそも、中森明菜とウマが合うような人ってのが想像できないです。なかなか難しそうな人だなあと感じます。もちろん、あたしは中森明菜のファンです。当時から聖子よりは明菜派でした。ただ、松田聖子も好きでしたけど。



まあ、久米宏と中森明奈がウマが合ったのかどうかはおくとして、この「ウマが合う」について考えてみたいと思います。

あたしは、これまで数十年生きてきて、本当にウマが合うと思えた人っていません。あえて、なんとか、無理矢理に記憶の糸をたどって探してみると、一人か二人、この人は比較的ウマが合ったかなと思える人がいる程度で、一生のつきあいになるような対象というのはいませんでしたし、現に今もいません。

営業回りの途次、移動の最中に、ふとそんなことを考えていたのですが、その一方で、営業で回っている書店で、あたしはほとんどイヤな人にあったことがありません。ほとんどの書店員さんは皆さんいい人ばかりです。でも、「ウマが合う」という観点から見た場合、実は「ウマが合う」人って、やはりいないなあと思うのです。

訪問している書店の方が皆さんいい人ばかりだと言っても、月に一回、会うか会わないかの接触です。それに、お互いそれで飯を食べている仕事なわけですから、そうと割り切って接している部分は多分にあるでしょう。いや、ビジネスと割り切らなければやっていけないものだとも思います。

つまり、書店員と出版社の営業としてはよい関係を築けているけれど、たとえばこれが高校時代に同じクラスにいたと仮定した場合、果たして仲良くなれたのだろうか、と考えてみますと、疑問がフツフツとわき起こります。

たぶん、一度も話をすることなく終わったのではないかな、卒業して数年もしたら、街であっても思い出せない、そんなヤツ同じクラスにいたっけ、という程度の存在でしかないのでは、と思うのです。確かに、現にあたしがいま仕事辞めたとしたら、ほとんどの書店員さんはあたしのことなどあっという間に忘れてしまうでしょうし、待ちでばったり出逢ったとしても忘れてしまっていると思うのです。

別にそれを寂しいとは思いません。現に同じ会社の人だって、辞めていった人とはもうそれっきりで、時に連絡を取り合うなんてことしませんから。なんとなく刹那的な生き方をしてしまっているのでしょうか?

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