2010年8月21日

小3の自殺@大阪

数日前、大阪で小学校三年生の女の子が自殺したというニュースがありました。

続報は知りませんが、テレビなどを見る限り、イジメがあったのかどうか、今一つ謎の多い自殺のようです。女の子の持ち物に「死ね」と書かれていたけれど、筆跡がクラスメートのものではなく、女の子本人の筆跡に一番近いとか......

小学校3年生くらいで、もう鑑定ができるほど筆跡が固まっているのか、あたしにはよくわかりませんが、専門家の鑑定なのか、それとも学校の先生によるものなのか、どうなのでしょう?

ところで、ニュースなどではコメンテーターなどがしたり顔で「小学生が自殺をするほど追い詰められるなんて...」といったコメントをしているのに違和感を感じました。

確かに、中学生や高校生くらいになれば、ある程度自分のことも周りのことも、そして将来のこととか世の中のことなども理解できるようになって、理解できるからこそ絶望して自殺へ向かう、というのも理解できますが、小学生ではまだそこまでの判断力はないだろうという想像です。

あたしは、そんなことはないと思います。小学生と言っても一年生と六年生とではかなり異なりますので、一概に一括りにして「小学生」と呼んではいけないのかも知れませんが、小学生だって自殺したくなるほど悩んでいる、苦しんでいるということは理解できます。なぜなら、あたしが小学生の頃、そうだったからです。

クラスでいじめられ、嫌われていると、どうしても自分を否定してしまいます。自分なんかこの世に生きていたって意味がないんだ、みんなの気分を害しているんだったら消えてしまった方がみんなのためなんだ、そんな風に自分を責め、自分自身がイヤになる気持ちは、あたしがそうだったのでよーくわかります。

だから、そういう意味をこめて、他人に指摘される前に自分で自分に「死ね」と言いたくなる気持ちもわかります。持ち物に「死ね」と書いたのが少女なのかまだわかりませんが、あたしは、自分で書いた可能性は大いにあると思っています。人に指摘されるのは、それは十分にイジメになりますから、これ以上いじめられないためにも自分で先に自分をいじめるようなものです。

こういう感情というか、気持ちの揺れは、決して大人だけではなく、子供でも、それこそ小学生でも持ち得る感情だということです。昔から人の輪の中にいて、友だちもたくさんいた人にはきっとどんなに説明しても理解してもらえない感情だと思います。

当時のあたしは、そういう風に自然と他人と仲良くできる人というのは自分とは別な人種、何か根本的に自分とは人間としての造りが異なっているのだと思っていました、否、現在のあたしもそう思っています。人種が異なれば文化も習慣も異なります、そう簡単に理解し合えるわけがないじゃないですか。

で、あたしが何で当時自殺をしなかったかと言いますと、自殺が嫌いだったからです。自殺が好きな人なんていないのかも知れませんが、あたしの場合、小さい頃から歴史が好きで、子供向けの伝記なども読んでいました、歴史上、人生半ばで命を落とした人を評価しない傾向がありました。今も基本はそうなんですが、とにかく暗殺は言うに及ばず、病気などで志半ばで死んでしまう歴史上の人物への評価があたしの中では低いのです。

具体的に言えば、信長、秀吉、家康では、小さい頃から家康好きで、信長が一番評価してませんでした。西郷隆盛や坂本龍馬もあたしの中では評価が低いです。結局、病気だろうと何だろうと、天寿を全うできない人は、それだけで才能や価値が二流だと評価してしまいがちでした。死んで花実が咲くものか、生きていればこそ、というのがあたしの考え方でした。

その背景には、いじめられている状態を克服するには、いじめている連中がいない世界に行かないとだめだ、でもいじめている連中を殺すなんてできない(←あんな連中のために犯罪を犯すなんてバカげている)、ならば犯罪を犯さずにいじめっ子がいない世界を実現するにはどうすればよいか。

小学生の発想なのでおかしなものですが、その当時のあたしは、誰よりも長生きすることが解決法だと思ったのです。つまり、自分をいじめた連中が死に絶えた後は、そいつらのいない幸せな世界が実現する、そう考えたのです。

となると、どうしたらいいのか? 自分がとにかく長生きするしかない、生きて生きて、決して死なないんだ、そう考えるようになりました。その反動で、好きな歴史でも途中で命を落とす人への評価が低くなってしまったのです。

あっ、話がずれてしまいました。

大阪の女の子、いったいに何があったのでしょうか?

ちなみに、やはりこういう事件の時に、訳知り顔のコメンテーターや教育の専門家が語る言葉に「自殺なんかしたら、家族の方やいろんな人が悲しむよ」と言って自殺予防を試みたりしてますが、このセリフほど陳腐なものはありません。

自殺までしようと思い詰めている子供は、「自分が死んだって誰も悲しまない、自分の死を悲しんでくれるような人なんて何処にもいない」と信じ込んでいるんです。悲しんでくれる人がいるってわかっていたら、そもそも自殺を思いとどまるでしょう?

ちなみに、あたしは、別に自殺でなくて、例えば交通事故とかで死んだとしても、誰にも悲しんでもらいたくないです。「悲しんでくれる人がいない」と信じているのではなく(←いや、確かにいないと思いますけど......汗)、「誰にも悲しんで欲しくない」と願っているのです。「あ、っそう、あいつ死んじゃったの?」と、ごくごく日常の一こまのように聞き流してくれるくらいでちょうどよいと思っていますので、もしそういうことがあったら、よろしくお願いします。

でも、あたしは長生きしますよ!


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