2010年7月30日

事件簿

常用漢字の事件簿』読了。

今年度と言いますか来年度と言いますか、常用漢字表が改訂になるので、いま辞典メーカー(漢字辞典、漢和辞典を作っている出版社)は、それに対応した改訂版の製作でてんやわんやなのではないでしょうか? この秋から来春にかけて、新・漢字表対応の漢字辞典が陸続で出版されるのでしょう。

さて、本書はの著者は実は同い年です。ですから、著者曰く自分の同時代史である本書で取り上げられている事件などは、あたしも著者とほぼ同じように体験してきていることです。印象の薄さやいま思い返しての感慨も、なんとなく似ている気がしますが、気のせいでしょうか?

いくつかの事件については、それを漢字に引っかけて書くのは強引と思えなくないものもありますが、やはりそれなりにページ数を割いて記述しているワープロ専用機の登場が、漢字にとっては最も大きな事件ではなかったでしょうか?

今の20代以下の方ですと知らないかも知れませんが、そもそもが「ワープロ専用機」などと呼ばなければいけないのは、その後パソコンが全盛を極め、ワープロ専用機がほぼ駆逐されてしまったからであり、当時はそのものずばり「ワープロ」で通っていました。わざわざ専用機などと名乗らなくても、個人の身近には「汎用機」が存在しなかったわけなので、ワープロという表現で事足りたのです。

あたしも使っていました。合計3台くらい使いましたね。最初は、記憶媒体のないタイプでした。いや、今で言えば、パソコン用のカード型LANカードみたいな専用メモリーカードが別売りされていて、それに記憶するタイプだったのですが、結局買いませんでした。なので、毎回文書を打ってはプリントアウトして、それっきり。保存もせずに電源オフでした。

2台目は記憶できるタイプだったか否か、覚えていませんが、3台目、あたしとしてはワープロ最後の一台はシャープの書院で、これはフロッピーが使えました。そのフロッピーも、いまや「それ何?」という人の方が多くなってしまったご時世ですね(涙)。

ワープロを使っていたのは、だいたい大学の2年生くらいまでで、それも、あくまで趣味の範囲でした。授業などには使ってませんし、学生ですからもちろんビジネスにも使っていませんでした。

授業に使わなかった(つまり、レポートを書いたり、とか)最大の理由は、あたしが専攻していた中国古典ではあまりにもたくさんの漢字を使うので、ワープロ専用機ではとても対応しきれなかったからです。外字を作って登録なんて、とても絶望的な作業です。やる気が起きません。

で、大学院生の頃、ようやくWindows3.1の普及と相俟って、あたしもパソコンデビューとなったわけです。それでも当初は、パソコンでも使える漢字には限度があり、授業などの補助として使うにはかなりの難がありました。ですから、あたしは、卒論も修論もすべて手書きでした。うーん、懐かしい。

このパソコン使い始めの頃は、パソコンとワープロ専用機では同じフロッピーと言ってもフォーマット形式が異なり、またワープロ専用機ごとにも異なっていたので、それらを相互に変換するソフトが流行ったものでした。

就職後も、しばらくは手書き原稿の著者もいましたが、徐々にワープロ原稿が主流になってきて、そこへ徐々にパソコンが幅をきかせてきた、という状況でした。著者によって使っている旗手はさまざまだったので、原稿がフロッピーで送られてきても、それがパソコンで読み込めるか否か、そこが最大の問題でした。フロッピーが読み込めないと、著者にプリントアウトしてもらったのを受け取ることになりますので、結局デジタルデータではなく、単にきれいに書かれた(ワープロで印字されたのだから当然)原稿でしかありません。なんとも牧歌的な時代でした。

そのうち、本一冊となると、図版や何やらでフロッピー一枚で入りきらない時代を迎えるのですが、そんなことは本書の読後記とは関係ありませんね。また機会を改めましょう。

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