2010年7月25日

ある人生

まずは『毛沢東 ある人生』(上下巻)の「上巻」読了、今日から「下巻」に入ります。

上巻は長征が終了するまでの物語で、毛沢東の権力掌握過程です。頭でっかちな留学組、教条派の党中央にそっぽを向き、自分勝手に農村で闘争を繰り返していくうちに実績を上げてシンパを増やし、いつの間にか党内での実力を蓄えていた、そんなイメージが毛沢東にはあります。

本書を読むと、こんな人が組織にいたら、組織は絶対にメチャクチャにされるだろうな、と思いましたが、いわゆる組織の殻を破って活躍する、テレビドラマなどにありがちな主人公のようでもあります。もちろん、毛沢東はもっと泥臭いですけど。

毛沢東が党中央に楯突いたといっても、本書を読んでいる限り、どうみてもしたたかな計算があったようには見えません。むしろ若い頃は父親に反抗したように、自分を抑えつけようとするものには無条件で反抗する、いつだって自分が一番、お山の大将でいたいワガママなやつ、そんな子供がそのまま大きくなってしまったかのような印象を受けます。

むしろ、後の大粛清や大殺戮を考えると、こういう毛沢東をうまくコントロールできなかった党中央やコミンテルンの方がよほど問題だったのではないか、という気がします。歴史の「if」は慎むべきかも知れませんが、この当時の党中央に漢の高祖・劉邦のような人がいたら、うまいこと毛沢東を使いこなせたのではないだろうか、とも思いますし、魏の太祖・曹操のような人がトップだったら、早い段階で毛沢東は殺されていたでしょう。(ある意味、毛沢東は劉邦に仕えた韓信タイプなのかも知れません。)

結局、中国の実情がわからず、素人もしなかったコミンテルンでは毛沢東をコントロールすることは不可能だったでしょうが、ある段階では党中央よりも毛沢東を支持していたというのは驚きでした。あたしの不勉強の至りです。都市の労働者を重視するのか、それとも農村からの蜂起を重視するのか、そのあたりに関しても、コミンテルンはややぶれている感じがします。

しかし、なによりも上に書いた「if」ではありませんが、当時の党中央には劉邦も曹操もいなかった。むしろ毛沢東自身がそういった役割を担うことになってしまったのが、その後の歴史の中で罪もなく殺されていった中国の人々のことを思うと残念でなりません。毛沢東にとって、当時の党中央で最大のライバル、と言うよりも鬱陶しい存在は周恩来であったはずですが、その周恩来ですら毛沢東はバカにしていたというか「こいつなら御せる」と思っていたようです。

周恩来が結果として毛沢東を選び、その後の毛沢東の行動も半ば見て見ぬふりをしていた経緯は下巻に書かれているのでしょうが、上巻を読む限りは冴えない留学組の一人でしかありません。ただ、留学していたとか、ソ連に行ったことがあるというのが、当時の共産党の中でどれだけ箔のつく行為だったのかは想像できます。それに対するコンプレックスも毛沢東にはあったのかも知れません。

さて、本書は毛沢東の伝記ですから、それはそれで構わないのですが、周恩来も含め毛沢東以外の人物の行動や心の動きがもう少し丁寧に描かれていてもよいのではないかと思いました。そういう意味では、先に刊行した『スターリン』を併読すると、中ソ両面から状況が理解できてよいのではないでしょうか?

さて、下巻に入りますか。


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