2010年7月 9日

とある小倉日記(2)

ちょっと出張へ出ただけなのに、いろいろ考えてしまいます。

いや、研修旅行に行ったわけですから、そこで学んだこと、知ったことを、反復し、自分の血となり肉となるようにしなければいけないわけですから、基本的にはよいことなのでしょう。

で、今回のYA旅行。主に中学の先生との研修で感じたことは、先生方に本を読む時間を与えないとダメだな、ということです。別に上から目線で「最近の先生は、ろくに本も読んでいない」と非難したいのではありません。

むしろ、その逆です。

昨今の学校の先生はとても忙しいようです。もちろん、さまざまな職種で忙しい人はいるのでしょうけど、子供の成長に関わる教師がここまで忙しくてよいのでしょうか、というレベルの忙しさです。時間があったらあれもしたい、これもしなければ、という状況だと思いますが、やはり、というか、せめて国語の先生や図書館担当の先生くらいは、もう少し本を読む時間を作ってあげたいと思います。

なぜって?

先のダイアリーでは、大人の薦める本よりも、同世代の友だちの薦める本の方がティーンズにはよいのでは、と書きましたが、やはり大人に、先生にお薦めの一冊を挙げてもらいたいと思っている生徒は多いはずです。

でも、時間がない先生は、自分が昔読んだ本、それこそ自分が中学や高校の頃に読んだ本を挙げるだけで、最近読んだ本を挙げることができないなんてざらではないでしょうか? というよりも、学生の頃以来、まともに本など読んでいないのかも知れません。読んだのは教員試験のガイドブックくらいなんてこともあるかも知れません。

それでは生徒に信頼されないでしょう。やはり大人が本を読んでいなければ、どんなに口先だけで本を薦めても生徒の心には届かないと思います。自分で読んで本当に面白かった(←感動する必要はない!)本でないと、その気持ちは生徒には伝わらないでしょう。生徒も、大人のそういう面はめざとく見抜くものです。

また、生徒にとっての大人って、別に先生ばかりではありません。最も身近な大人といえば父親、母親です。

やはり、親が日常的に本を読む人なのか否か、そのことは子供が本好きになるかどうかの大きな分かれ目になると思います。家に、まともな本の一冊もないようでは、子供に読書の習慣などつくはずがないでしょう。

そういう意味でも、「朝読」から発展した昨今の「家読」という運動は、非常によい試みだと思います。

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