2010年7月31日

殺すくらいなら

今日はこれから棚卸しです。高田馬場にある、あたしの勤務先の倉庫で、休日出勤も厭わず、営業部総出での作業です。

というわけでも、もう少したったら家を出るつもりですが、今朝もテレビでニュースを見てますと、大阪で幼い子供二人が死んでいるのが見つかったとか......

映像を見ると、家の中はゴミだらけ、23歳という母親は当初は行方がわからなかったようですが逮捕されたとのこと。夜泣きがうるさくて、思い通りにならず、自分の時間もなくなったから子育てが嫌になった、幼い子供だから放っておけば勝手に死ぬと思った、というその母親のセリフ、あたしにはとても母親の言葉とは思えません。

だったら、どうして子供なんて作ったんだよ、と声を大にして言いたいです。夫はどこにいる、それともきちんと結婚してないのか、テレビでなんとなく見ていただけなので、いろいろと疑問がわきますが、近隣住民曰く、臭くて廊下を通れない、ベランダを開けると悪臭が入ってくるから開けられない、というほどのゴミ屋敷。そんな中で幼い子供二人が置きっぱなしにされていたわけですよね。母親はこの一月くらい家に戻っていなかったそうです。

想像するだにかわいそうです。でも、こういうニュース、最近は本当に多いです。十把一絡げに言ってはいけないかも知れませんが、こういう事件を起こすのは、だいたいが20歳そこそこの若い親です。

そりゃ、子育ては大変でしょう。自分の思うように赤ん坊は動いてくれないでしょう。友達は楽しく遊んでいるのに自分は家の中で悶々と子育てでストレスもたまるでしょう。

でも、多くのお母さんが言うじゃないですか。子育てって、苦労以上のものが帰ってくる、って。もちろん見返りなんて期待して子育てってするものではありませんが、何物にも代え難い何かを得られるものだということは、子育て経験のないあたしにだってわかります。

こういう事件を聞くたびに、殺してしまうくらいなら、あたしに頂戴よ、とふざけているのでも何でもなく、思ってしまうあたしです。

2010年7月30日

事件簿

常用漢字の事件簿』読了。

今年度と言いますか来年度と言いますか、常用漢字表が改訂になるので、いま辞典メーカー(漢字辞典、漢和辞典を作っている出版社)は、それに対応した改訂版の製作でてんやわんやなのではないでしょうか? この秋から来春にかけて、新・漢字表対応の漢字辞典が陸続で出版されるのでしょう。

さて、本書はの著者は実は同い年です。ですから、著者曰く自分の同時代史である本書で取り上げられている事件などは、あたしも著者とほぼ同じように体験してきていることです。印象の薄さやいま思い返しての感慨も、なんとなく似ている気がしますが、気のせいでしょうか?

いくつかの事件については、それを漢字に引っかけて書くのは強引と思えなくないものもありますが、やはりそれなりにページ数を割いて記述しているワープロ専用機の登場が、漢字にとっては最も大きな事件ではなかったでしょうか?

今の20代以下の方ですと知らないかも知れませんが、そもそもが「ワープロ専用機」などと呼ばなければいけないのは、その後パソコンが全盛を極め、ワープロ専用機がほぼ駆逐されてしまったからであり、当時はそのものずばり「ワープロ」で通っていました。わざわざ専用機などと名乗らなくても、個人の身近には「汎用機」が存在しなかったわけなので、ワープロという表現で事足りたのです。

あたしも使っていました。合計3台くらい使いましたね。最初は、記憶媒体のないタイプでした。いや、今で言えば、パソコン用のカード型LANカードみたいな専用メモリーカードが別売りされていて、それに記憶するタイプだったのですが、結局買いませんでした。なので、毎回文書を打ってはプリントアウトして、それっきり。保存もせずに電源オフでした。

2台目は記憶できるタイプだったか否か、覚えていませんが、3台目、あたしとしてはワープロ最後の一台はシャープの書院で、これはフロッピーが使えました。そのフロッピーも、いまや「それ何?」という人の方が多くなってしまったご時世ですね(涙)。

ワープロを使っていたのは、だいたい大学の2年生くらいまでで、それも、あくまで趣味の範囲でした。授業などには使ってませんし、学生ですからもちろんビジネスにも使っていませんでした。

授業に使わなかった(つまり、レポートを書いたり、とか)最大の理由は、あたしが専攻していた中国古典ではあまりにもたくさんの漢字を使うので、ワープロ専用機ではとても対応しきれなかったからです。外字を作って登録なんて、とても絶望的な作業です。やる気が起きません。

で、大学院生の頃、ようやくWindows3.1の普及と相俟って、あたしもパソコンデビューとなったわけです。それでも当初は、パソコンでも使える漢字には限度があり、授業などの補助として使うにはかなりの難がありました。ですから、あたしは、卒論も修論もすべて手書きでした。うーん、懐かしい。

このパソコン使い始めの頃は、パソコンとワープロ専用機では同じフロッピーと言ってもフォーマット形式が異なり、またワープロ専用機ごとにも異なっていたので、それらを相互に変換するソフトが流行ったものでした。

就職後も、しばらくは手書き原稿の著者もいましたが、徐々にワープロ原稿が主流になってきて、そこへ徐々にパソコンが幅をきかせてきた、という状況でした。著者によって使っている旗手はさまざまだったので、原稿がフロッピーで送られてきても、それがパソコンで読み込めるか否か、そこが最大の問題でした。フロッピーが読み込めないと、著者にプリントアウトしてもらったのを受け取ることになりますので、結局デジタルデータではなく、単にきれいに書かれた(ワープロで印字されたのだから当然)原稿でしかありません。なんとも牧歌的な時代でした。

そのうち、本一冊となると、図版や何やらでフロッピー一枚で入りきらない時代を迎えるのですが、そんなことは本書の読後記とは関係ありませんね。また機会を改めましょう。

存在しない人

昨晩は、TBS系のバラエティ「スパモク !! 世界中の恐怖映像2010 こんな映像なぜ撮れた超コワい絶叫動画50!」を見ておりました。

ああいうの、好きです。心霊写真とか恐怖体験、ホラー映画や悪魔・悪霊といったたぐい、大好きです。だから、この手の番組は結構見てしまいます。

今回の映像、どう見たって「やらせ」でしょ、というものが混じっていましたが、ああやって恐がりな女性タレントをスタジオに集めて、キャーキャー言いながら怖い映像を見るのって楽しいものです。

あたしは基本的に悪霊とか悪魔って好きなんですよ。

何故かと言いますと、小中学校の頃、いじめられっ子、嫌われっ子だったことが原因です。周りから嫌われるので人間不信というか、人間なんて大嫌いだ、親切そうな顔していても次の瞬間には裏切るから信じられない、と思い詰め、いったんは「その点、動物はいいなあ」と思ったのです。でも、動物にだって感情があり、特に飼い犬や飼い猫はこちらの気分を読み取って態度を変えるじゃないですか。

「ああ、動物だって裏切ることがある、とてもじゃないけど信じられない」と思い、その結果「そうだ、悪魔とか悪霊なら、善悪を使い分けるなんて人間臭いことはせず、悪一筋、とても一途でこちらを裏切ることなんかないだろう」と思い至ったのです。あたしが悪魔とか悪霊とかを好きになったのはそれ以来です。

ただ、そうは言っても、あたしは決して霊感が強いわけでもなければ、それに類する体験をしたことがあるわけではありません。まったくもって、そういったこととは無縁に生きてきました。ところが、最近、そういった話をしていて、実はあたしは霊感があるタイプなのではと他人から指摘されました。それが本当なのかどうか、あたしはいまだに自分では霊感などない(←弱いではなく、ない!)と思っているのですが......

まず、これは霊感とは関係ないと思いますが、小学生のころから大学生の頃まで、あたしは時々予知夢と見ていました。予知夢って、心理学的には予知でもなんでもなく、類似の事例を見ただけだということですが、細部までまったく同じ映像が現実に起こるなんて、すべて心理学で説明できるのでしょうか?

あたしの場合、予知夢で見たのと同じ景色、場面が現実に現われると、現実世界が一瞬止まります。ほんの数秒、たぶん計れば1秒かそこらなんでしょうけど、止まります。そして止まっている間は白く光るように、世界から色彩が失われるのです。

そんな体験を小学校の頃から時々していたのです。大学生の頃までは、そうだったのですが、社会人になってからは予知夢は見ていないです。

その反動と言うわけではないのですが、この数年、たぶん1年か2年くらいのことですが、こんどはそこにいるはずのない人を見かけるようになりました。

電車に乗って吊革につかまっているときに、ふと脇の下あたりから首をニュッと出したおじさんがいたり、街を歩いていてぶつかりそうになりながらあたしの横を通り過ぎていったサラリーマンを見たり......

えっ、なんでこんなそばに人がいるの、とあたしが不思議に思う刹那、その人は消えているのです。もちろん遠くへ行ってしまっているわけではなく、そもそもそんな人がいないのです。先日も東京国際ブックフェアのセミナー会場で、あたしは壁際の席に座っていたのですが、あたしと壁との間の通路に、もちろんそこには椅子などないのですが、椅子に座った中年のおじさんがいました。「えっ、誰?」と思った瞬間に、そのおじさんは消えていましたが......

これらが薄ぼんやりと見えるのなら、何かの影かとも思うのですが、表情まではっきりと、それこそ顔のしわやほくろまではっきりと目に映るのです。もちろん知っている人ではありません。逢ったことのない人ばかりです。

いったい、これは何でしょう?

そういえば、よく夢には色がないと言われますが、あたしの場合夢もカラーが多いです。そして、かなり細かいところまで鮮明だったりします。ただ、その鮮明さも、家庭用ビデオカメラのモニター画面で撮影した映像を見ているような感じの鮮明さ(不鮮明さ?)なのです。

さてさて、あたしには果たして霊感があるのでしょうか?

2010年7月29日

そんなに見たい?

今年は業界団体の研修旅行にいつも以上に参加した年になっていますが、移動の合間やバスの中、電車の中、どうして皆さん、あんなにケータイをいじっているのでしょうか? それこそ常に、四六時中ケータイをチェックしていますね。もちろんメールだけでなく、話していることも多いです。

やはり、会社や取引先から重要な仕事上の連絡が入るのでしょうか? でも、旅に出ているときくらいは、仕事を忘れてのんびりしたいじゃないですか。って、研修旅行は仕事の一部ですか? でも、会社を離れているわけですから、日常業務は忘れて、研修旅行に専念しましょうよ。そう思います。

あたし?

あたしは、だいたいiPodを聞いてるか、本を読んでます。

ケータイ?

そんなの、あたしの勤務先は支給してくれませんから、使ってませんよ! いちおう、個人の趣味の部分があるので、PCメールなどをチェックするための小型PCは持っていますが、それだって、朝夕にチェックする程度、あまり使いません。

となると、出張へ出てしまうと、あたしには緊急連絡を入れられないわけですが、まあ、緊急連絡なんてまずないです。何かあっても、会社にいる人間で解決してくれないと困ります。と、勝手な理屈で固めておりますが......

さてさて、そんなケータイですが、

彼氏のケータイを見せてもらうための一言9パターン

というお題です。

そもそも、そんなに見たいものでしょうか? テレビなどでも、時折、恋バナで「彼氏(彼女)がケータイを勝手に見て引いた」「それがきっかけで別れた」なんて話を見たりしますが、何を見たいのか、あたしのような人間には全くわかりません。

今回の9パターンは、あくまで「ケータイを見るための」方法であって、なんでケータイを見たいのかは書いていません。やはり彼(彼女)の浮気が気になるのでしょうか?

でも、ケータイを見たいと思っている相手(対象)って、あなたの彼、あるいは彼女なんでしょ? つまり恋人のわけなんだから、そこは相手を信用しようと思わないのでしょうか? と、恋人イナイ歴=年齢のあたしが言っても全く説得力がないでしょうか?

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