2010年6月20日

路上詩人

東京も梅雨入りし毎日毎日蒸し暑いです。昼間はともかく、夜に気温が下がらないのが昔と異なるところだと思います。そんな寝苦しい夜に想い出すのはこの曲です。



さてさて、閑話休題。

東京の西郊、立川の駅前は、地面に降り立つことなく、空中回廊のようにデッキで百貨店などが結ばれています。あたしの場合、そのデッキをつたって向かうはオリオン書房さんがほとんどなのですが、そのデッキ上、ポケットティッシュを片手に持った勧誘やキャッチセールス、はたまたお坊さんが読経をしていたり、インディオが民族楽器を奏でていたり、なんとも賑やかです。

そういう人々の中に、色紙にちょっとした言葉を書いて売っている人を見かけます。別に立川でなくとも、いろいろ場所にいますね、こういう人。この十年くらい、いや、もう少し前からでしょうか、こういう人が増えたのは。

個人的には、相田みつをさんの影響かな(?)とも思っているのですが、確かに相田みつをブームと、こういう路上詩人(?)の出現はだいたいリンクしているような気がします。

で、彼らを見ると思い出すのが、ある詩人の言葉です。あたしの記憶が正しければ荒川洋治さんだったと思うのですが、違うかも知れません。それに発言の趣旨が全然違うのかも知れませんが、あたしにはそのように理解できたということで、荒川さんに責任を押しつけるつもりは毛頭ありません。

で、どのような発言かと言いますと、ラジオにゲスト出演していた荒川さん(と記憶)が語るに、感動というのは本来ある程度の長さ、まとまりを持った文章を読んでわき起こってくるものであり、ほんの一言、ワンフレーズを読んだり聞いたりしただけで感動なんてできるものではない、とのこと。

荒川さん(じゃないかもしれない)のこの話は、ちょうどこのような路上詩人とでも呼ぶような人たちが現れ始めた頃、ですから10年くらい前のラジオだったのですが、そういう路上詩人の色紙が若者たちの人気を集めている、ということに対して発せられたものです。

この発言、あたしは激しく同意しました。そりゃ、ある色紙の言葉に、自分なりのストーリーを付け足して感動する、あるいはかつて感動した言葉をたまたま色紙の中に見つけた、というのならまだわかります。でも、あんな色紙に、味わいも何もない、自己流の筆文字で書かれた一言で、感動なんてするわけがない、そう思います。

いや、これはあたしの感性が鈍いからなのでしょうか? 詩心がある、あるいは言葉に対する感性が細やかな人であれば、ああいう短い言葉の中に真実を見いだすのでしょうか?

あたしには理解できません。

そう言えば、このころからじゃないですかね? テレビなどのバラエティ番組でもちょっとした発言に「いま、いいこと言ったね」なんて、内輪で感動し合うような場面が増えたのは。もう少し本を読めば、いくらだって素晴らしい言葉に出逢うのに、タレントたちはあまり本を読んでいないからなのか(本を読む時間もないからなのか)、どうってことない言葉にやたら感動しているような気がします。

ヘンです。

そう思います。

というわけで、立川のデッキ上で見かけるような(別に立川のデッキ上にいる人だけを指しているのではありません。そこらじゅうの繁華街に結構います)彼らを路上詩人と呼ぶのはいけませんね。せいぜいが路上書家でしょうか? しかし、あんな文字、金を出して買おうという気は決して起こらないのですが。

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