2010年6月14日

書店はどこへ(1)

またもや朝日新聞で連載が始まったようです。

出版サバイバル 書店はどこへ

今日はその第一回でした。主たる内容は本屋大賞。

少し前にも一度書きましたが、今回は初めて投票者数、つまり参加書店員が減ったそうです。その理由を「人減らしが進んだ書店は勤務時間が長くなって本が読めず、投票できなくなったからだ」と書いてあります。

確かにそれも大きな理由の一つでしょうけど、果たしてそれだけなのでしょうか? ただ単純に書店員さんの意識が冷めた、ということはないのでしょうか?

記事後半のメインは、ある書店のツィッターを使った呼びかけで、作家の自筆ポップが店頭に並んで売り上げを伸ばした書店の話です。「すぐに完売したり、今まで店で扱ったことがない本が売れたりした」という感想が紹介されていますが、減った、減ったと言っても1万店以上もある書店に、もし求められたら作家の方々は直筆ポップを提供できるのでしょうか?

と、なんか悲観的、否定的なことばかり書いてしまいましたが、本音はそうではありません。各書店が、それぞれ創意工夫をして、自分でできることを一つ一つ始めていくしかないんじゃないか、ということが言いたいのです。

ただ、ここで「自分でできること」と書きましたが、これは「自分一人でできること」という意味ではありません。「どれだけ周囲の人を巻き込めるか」という含意があります。本屋大賞だってそうです、一人の書店員じゃ何もできなかったわけです。直筆ポップを書いてもらった尾道の書店さんも、自分だけではダメだったんです。要は、どれだけ周りの人を巻き込めるかだと思います。

最初は小さな雪のたまだったのが、転がっていくうちに周りの雪も一緒になって、どんどん大きな雪玉になっていきます。あんなイメージです。

でも、あえてあたしが言いたいのは、今回の朝日新聞の連載のタイトルです。

書店はどこへ

書店がどこかへ行こうとする必要があるのでしょうか? よいと思う本、読んでもらいたい本をこれまでどおり実直にお客様に提供し続ける、結局はそれに尽きるのではないでしょうか? なまじ「どこへ」なんていう問題提起をされるから、なにかしなければならないと猫も杓子も思い込み、慌てふためいて本末転倒な自体になってしまうのではないでしょうか?

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