2010年6月12日

高校生は感動しない!

祥伝社新書の『高校生が感動した「論語」』が売れているようですが、このタイトルに違和感を感じます。同書をあたしはまだ読んでいないので、軽々に判断してはいけないと思いますが、もしタイトルどおりだとしたら、本当に高校生が感動したのでしょうか?

あたしは学生時代、中国思想を勉強していました。そのきっかけなどはこちらを読んでいただければと思いますが、高校生くらいの年齢では『論語』にそれほど感動するだろうか、という疑問を感じるのです。

あたしは『韓非子』が大好きでした。これこそ、自分の気持ちを代弁してくれていると思いました。高校生くらいの年齢ですと、説教くさい『論語』なんかより、『韓非子』とかの方が心に突き刺さると思うのです。『論語』って、もう少し歳を重ね経験を積んでようやくその味わいを感じられるようになるのではないか、あたしはそう思うのです。

それはあんたが変わり者だからよ、おっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、あたしはあたしの感覚方が普通だと思ってます。高校生なら『論語』に感動しているような、ヘンに物わかりがよく、こじんまりとまとまってしまっているというのは、むしろおかしいと感じるのです。

もちろん『論語』は素晴らしい本ですし、いいこともたくさん書いてあります。別に聖人・孔子の非の打ち所のない言行録ではありません。もっともっと人間くさい姿が描かれています。そういう面に、つまり努力すれば聖人とはいかなくとも、それなりの高みには上れるということを教えてくれる部分に高校生が感動したのかもしれません。

でも、高校生時代のあたしは、『論語』とか『孟子』などの教条っぽいところは嫌いで、かといって『老子』『荘子』の域に達するほどには人間が未熟でした。(もちろん、今もって未熟です。)

そんな中、『韓非子』は徹底的に現実的で、情け容赦なく、人間の真実を捕らえていると、高校生だったあたしには思えたのです。



別にあたしは、高校生が『論語』を読んではいけない、と言うつもりもありませんし、『論語』を読んで感動してはいけない、と言うつもりもありません。人それぞれ感じ方があるわけですから、別に『論語』を読んで感動するのはいいことです。

でも、それでも、高校時制の自分を振り返ってみると、『論語』なんて読んでないで『韓非子』を読みなさい、もっと感動するから、と言いたいのです。

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