2010年5月30日

離を持つ?

このところ喪服を着る機会が増えております。週明けにも、一件、同業者の葬儀に参列してきます。なんでも社長さんのご母堂が亡くなったのだとか。こういう季節の変わり目は、若者ですら風邪で体調を崩している人が多いわけですから、体力が弱っているお年寄りには辛い季節でしょう。

で、あたしと直接の関係があるというわけではありませんが、今年はサリンジャー、井上ひさし、シミオナートと続けざまに、あたしの勤務先から本を出している方々が亡くなりました。社内でも「次、また誰か亡くなるのかしら?」と冗談にもならない話が出るくらい続いたのです。

と思っていたら、なんと著者、訳者ではなく、社員自身が一人亡くなってしまいました。こうなると、迷信深い人なら「呪われている」と思うのかもしれませんし、確かにそう思えなくもないです。

で、あたしの場合、先週は恩師・小松茂美先生の逝去の報に接したわけで、通夜、葬儀も終わったかと思っていたら、初めにも書いたように同業者の葬儀です。

小松先生の訃報を聞いたとき、あたしは「だんだん、あたしに近づいてきているなあ」と感じました。徐々に徐々に、あたしに近しい人に不幸が訪れている、そういう自覚というか感覚がわき起こってきたのです。

かつて、あたしの母親の知り合いに四柱推命のような占いをよくするおばさんがおりまして、親戚や知人たちがしょっちゅう占ってもらっていました。そのおばさんも請われると「今年はそっちの方角はダメだよ」とか、「引っ越すなら来月に入ってからにしな」といったアドバイスをしていました。

で、ずいぶん前のことですが、あたしだったか母親だったかが、そのおばさんに「今年は、あんた、離を持っているよ」と言われたのです。「離」、まさしく「離れていく」ってことで、「離」を持っている人の周囲で不幸が続くという暗示です。自分自身が死ぬとか、そういうこともあるのかもしれませんが、どちらかというと、その人自身が持っている「離」のために周囲に悪影響が及んでしまう、といったご託宣だったと思います。もちろん、必ずしも「死」とは限りませんが、「離れてしまう」ことの最たるものが人の死であることは間違いないでしょう。

実際、その頃、周囲で何人か不幸があったのも事実ですが、どこまでこの占いと結びつけて考えてよいものやら、若干マユツバではあります。

ただ、今年に入って不幸が続いたので、呑気に考えていたあたしも、なんとはなしに、この「離を持つ」というセリフを思い出したわけです。直近の同業者の葬儀は、あたしから見ると遠ざかったわけですが、それでもあたしの周囲にかわりはありません。不謹慎とはいえ「次は誰?」と考えてしまいます。

で、これもものすごく不謹慎というか、本当に縁起でもないとはこのことを言うのだと思いますが、妹の子供、つまりあたしから見たら姪っ子、甥っ子が交通事故に遭うという夢を見てしまいました。これが正夢にならないよう、とことん注意したいと思いますが、もし本当にあたしが離を持っているのだとしたら、あたし自身がお祓いでも受けてこないとダメなのでしょうか?

考えてみますと、最近ハニーと逢えなくなってしまったのも「離」と言えるのかもしれません。「離」にも、いろいろな形があるみたいです。

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