2010年5月22日

ますます身近な人が・・・

出張明けの今朝、いつものように新聞を開いて目に飛び込んできた訃報。

小松茂美先生が亡くなられました。

ちょっと信じられません。ショックです。百まで生きると思っていました。少なくとも90までは生きているはずだと信じていました。

小松先生は若い頃に広島で被爆されているので、85歳と聞けば十分長生きですし、大往生です。でも、いつまでもお元気で、先年亡くなったお母様も90まで達者でしたので、小松先生も、まだまだ大丈夫だと勝手に思っていました。

あたしと小松先生との出逢いは大学院一年の時ですから、もう20年前になります。当時、大学院で指導を受けていた中下正治先生のお手伝いでした。小松先生の専門は古筆学ですから、さまざまな文献が手元に集まっています。その中には漢文で書かれたものも多数混じっていて、その訓読が正しいか、何か中国古典に出典があるのか、そういったことを折に触れ、小松先生は中下先生に尋ねていたそうです。その出典調べなどをお手伝いするようになったのが、そもそもの始まりでした。

その後、小松先生のお宅の書庫の蔵書整理を手伝い、その後、ちょうど当時は「小松茂美著作集」の刊行の頃で、スタッフ総出で過去の文章の再チェックをしていたのですが、あたしも出典の再チェックなどのお手伝いを少しだけ致しました。

出典チェックは中国古典でも基礎作業ですから、それほど苦にはなりません。むしろ、自分の専門外である国文学のさまざまな文献に接する機会を与えてもらい、いくら感謝しても感謝しきれません。ちなみに、出典調べ、時には「群書類従」や「大正新修大蔵経」のページを繰ることもありました。今となっては、どれもいい想い出です。

小松先生との想い出は、こういう学問的なことばかりではありません。

歌舞伎を見に連れて行っていただいたこともあります。オタクの近所の公園でお花見をしたこともあります。でも、なによりも、先生とはよく飲んだ想い出が多いです。あたしは決して酒が強い方ではありませんが、小松先生と飲んでいると、ついつい楽しくて度を過ごしてしまいます。ほとんど失態と呼ぶようなことも何度かありました。

これらもすべて、今となっては想い出の中だけの話で、これから新たに作ることはできないのかと思うと寂しい限りです。なにより、小松先生に申し訳ないのは、結局、先生に結婚の報告ができなかったということです。この十数年来、先生は二言目にはあたしに「いい人はいないのか?」「そろそろ本気で考えないとだめだ」とおっしゃってくださいました。あたしも、上の空で聞いていたわけではなかったのですが、いまだに縁なく、先生に報告する前に、先生が待ちきれずに逝ってしまいました。

それが、心残りです。

合掌。

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