2010年5月 8日

人を殺したい衝動について考える

死というものを身近に感じることがあると、やはり、いろいろと考えてしまうものです。

今日はちょっと野暮用があって午後から勤務先へ行ってきたのですが、ホームで電車を待っているときに、飛び込み自殺について考えていました。ちょっと前に、鉄道自殺の記事を読んだからでもありますが......

その記事では、飛び込み自殺というのは、直接・間接を含めて、ものすごい数の人に影響を与える死に方であって、特に大都市圏などの場合、ダイヤの乱れによって影響を受ける人は時には万単位になることもあるわけで、それは、つまり自殺した人の「世間に自分のことを知って欲しい」という叫びの表われなのではないか、と書いてありました。

それでまた、頭の中の連想は飛んで、他人に認めてもらいたいという気持ちが昂じて、他人を殺してしまうという行為に至る場合もあるのか、と。あるいは、いじめを苦にした自殺もあれば、イジメに対する仕返しの殺人もあるわけで、どうしてそんな簡単に人(自他含め)の命を奪えるのだろうと考えてしまいます。

殺したい人って、いますか?

あたしも、昔からいじめられっ子、嫌われっ子だったので、クラスメートは、ほぼ全員大嫌いでした。こんな奴ら、みんなこの世からいなくなればいいのにと、いつも思っていました。でも、だからといって、巷間言われるように、いじめた相手や嫌いなクラスメートを殺したいとまでは思いませんでした。

このあたり、あたしの考え方はもっと穏やかでした。クラスメートも所詮は人間、いつかは死ぬはずだ、わざわざあたしが犯罪に手を染めるような真似をしなくても、いずれ勝手に死んでくれるはず、そう思っていました。

だから、あいつよりも一分一秒でも長生きして、あいつの存在しない世界を味わってから自分は死ぬんだ、常にそう思っていました。この考えは今も変わりません。ある意味、穏やかと言うよりも、ネクラで執念深くて、ねっちこいのかもしれません。

でも、それがあたしなりのストレス解消法だったのかもしれませんし、そんなことで解消できる程度の悩み、苦しみだったのかもしれません。



でも、もしあたしが超能力者で、何の証拠も残さずに人を殺せるのであれば、毎日毎日ずいぶんと人を殺しているだろうなあ、とも思います。

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