2010年5月 8日

身近な死について考える

休日だというのに、ほとんどいつもと変わらず朝の5時に目が覚めてしまいました。静謐な朝ではありませんが、やはり昨日勤務先で耳にしたことが尾を引いているのでしょうか?

この連休中に、同僚が一人亡くなったという知らせが、昨日、社内を駆け巡りました。入社以来、亡くなった方というのは何人かいましたが、みな退職された後のことで、今回のように現役の社員が亡くなるというのは、たぶん初めての経験です。

死因は、もともと病気を患っていたのですが、血管が切れての出血死ということです。ついこの前、それこそGW前に社内で顔を合わせていた人が、今日には彼岸に旅立っているというのは、ちょっとどころか、全く信じられません。

もちろん、交通事故死などであれば、あたしを含めた誰にだって起こりうることですが、意外とそういう事故死というのは起こるものではなく、現に誰もそんなめに遭っていません。ですから、たいていの場合、身近な人の死というのは病気が多いのですが、傍目には会社にも来ていて、仕事をしている人間が、数日のうちに逝ってしまうなんて......。これが長期の入院生活を送っていて、もう復帰の見込みもないと、社内でも言われているような状態であれば納得もできますが。

ちょっと間が空いてしまいますが、来週、通夜と葬儀です。

今でこそ部署が異なるので、机を並べて仕事をしているわけではありませんが、かつてあたしが編集部に在籍していた頃は、文字通り「机を並べて」仕事をしていました。いつも人当たりが穏やかで、誰をも不思議な空気で取り込んでしまう人だったなあ、という想い出が残ります。あの人だから出せた企画や本がありますし、あの人だからこれから出してもらいたい本という之たくさんあります。それらは、すべてを残された人間が引き継ぐなんてできないでしょう。残念です。

実は、あたしには、いまだに実感が沸かない部分があります。

上にも書いたように、現在は部署が異なるので、意外と日常的に社内で顔を合わせるということがあるわけではありません。それほど大きな会社ではありませんが、部署が異なりフロアが異なると、意外と顔を合わせることなく一日が過ぎるものです。人によっては数日顔を見ない人もいます。ですから、亡くなったということ、この世からいなくなったという実感に乏しいのです。

親兄弟などの死でも、同居している人が亡くなる場合と、同居していない人が亡くなる場合とでは、やはり心の空虚感にしろ喪失感にしろ、だいぶ異なります。それと似た感じです。

あたしの場合、もう十年以上前に亡くなった父が、やはり同居でしたが、その時は、悲しいという気持ちよりも、寂しいという気持ち(空虚感と表現した方が正確かも)の方が強かったです。

もちろん、同僚が突然亡くなって悲しくないわけではないのですが......

ちなみに、このダイアリーに何度も書いていますが、あたしなら、もし事故とか病気で突然に死んだとしても、誰からも悲しんで欲しくないです。会社も、全くいつもと変わらない状態であって欲しいと願います。

もちろん、業務の上で周りの人にはいろいろ迷惑をかけることになりますが、「あいつ、何の引き継ぎもしないで死んじゃったから、困るんだよな~」と憎まれ口を叩かれるくらいの方が気が楽で、嬉しいです。

今回の同僚のように、休みの間に死んだのであれば、休みのうちに通夜も葬儀も終わらせて、家族以外の誰にも見送られずに逝きたいです。

だって、本当に悲しんで欲しい人が悲しんでくれるのでなければ、何も浮かばれませんし、本当に悲しんで欲しい人を悲しませたいとは思いませんから。


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