2010年5月 7日

信用できないのに友だち?

PHP新書の『友だち不信社会』を読了しましたが、よくよく考えるとこのタイトルって矛盾に満ちていますよね。だって、「友だち」が信じられないのであれば、それは既に「友だち」ではないのではないでしょう。あたしは、そう思います。

そして「おわりに」も、なかなか示唆に富んでいます。
だからこそ、だれかに話し、聞いてもらい、共感してもらうことが重要である。
「そんな相手がいれば苦労はしない」という人は、これまでの自分をふりかえってみていただきたい。だれかが「つらかった」「悲しかった」と話を始めたときに、きちんと共感してきただろうか。話をちゃんと聞かなかったり、いきなり「こうしたらよかったのに」とアドバイスしたり、「それはあなたがいけなかった」と批判から話を始めたりしてこなかっただろうか。(P.190)
はい、あたくしも「そんな相手」いませんでした。(このあたりは、『〈リア充〉幻想』の著者、仲正さんと同じかも?) だれも、あたしにそんな話をしてくる人はいませんでした。人に相談を持ちかけられることもなければ、人にアドバイスをするようなことも経験ありません。

たぶん、あたしって、他人から見て、頼りにならないし、信用おけないし、そもそも親身になって相談を聞いてくれそうなタイプではない、そう思われているのだと思います。

はい、それが正解です。あたしは、そんな薄情、酷薄な人です。愛読書は『韓非子』です。

それがなにか?


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