2010年5月 6日

不幸感、被害感、孤独感

先に触れたPHP新書の『友だち不信社会』を読んでいて、気づきました。

ネットを通じたイジメが起こる、それがエスカレートする場合、加害者の多くは現実世界で受け入れられない自分について、「自分は本当は優秀なんだ」とか、「本当の自分は理解されていないんだ」という思い込みがあるようです。

それを、より匿名性が高いネットを通じて発散させている、ということのようですが、この意識の面で、あたしとは全く逆だなあと思いました。
自分はほんとうの姿と力を隠しているだけ、みんな、ほんとうの姿を知らないだけだ(P.98)
という意識は、もちろん、あたしにもあります。

でも、同書では、自分が隠している「ほんとうの姿」とは、優秀なものということになっています。つまり、
会社の仕事がくだらなすぎる、同僚や上司が無能すぎる、会社は自分の能力を正当に評価してくれない・・・・・・といった理由をつけて、彼らは社会や外界に出ることを放棄するようになる。(P.99)
というわけです。自分が優で、周囲の人間が劣という図式です。

あたしの場合、ここが逆というか、ちょっと違うんです。

どうも、あたしって、会社とか書店などでも、そこそこ評判がいいんです(←自分で言うな?)。それなりに仕事もきちんとできるし、能力も高いと思われている節があります。全般的には「いい人」って思われているようです。

それが、あたしにはとても耐えられません。

最近つくづく感じるのは、あたしって全然仕事をこなす能力もなければ、才能なんかも見当たらない。性格なんか極めつけに悪くて、どうして、世間の人は、このあたしの性格の腹黒さ、陰湿さ、陰険さを理解してくれないのだろう、と思います。

ものすごい、フラストレーションがたまります。まさしく、葛藤です。外で評判がよければよいほど、死んだ父親と同じで、外面だけがよい人間のようで、ますます自分が嫌いになります。

どうして、こんなどうしようもないあたしのことを、みんな理解してくれないんだ、みんな誤解しているよ、と声を大にして言いたいです。いや、もう何度も、このダイアリーで叫んでいるんですけど......

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