2010年5月 6日

人間力

〈リア充〉幻想』と『友だち不信社会』を読んでいます。

前者が語る「人間力」は、なかなか怖ろしいと感じました。

かつてのように学校が、学力だけを基準に生徒を評価しているうちは、たとえ成績が悪くても、ペーパーテキストでは計れない才能や個性があるんだという「逃げ道があったのが、ゆとり教育以降の「人間力」という全人格的な尺度で人を評価するようになると、もう逃げ場がなくなり、そこでダメだと人間として失格という烙印を押されてしまうことになる、というのは実は怖い社会だと思います。

著者も言うように、そもそも人間力なんていう尺度で人を測れるのか、そもそも人間力って何だ、という問題に行き着いてしまうのですが、どうも昨今の議論の流れはそういう方向へは向かずに、救いようのない価値判断を行なっている気がします。

それは後者の著作にも言えることで、事例として冒頭に挙がっている学校や会社でのイジメも、何か具体的な、つまり誰もがそれなりに納得できる理由や尺度があって他人を評価しているのではなく、漠然としたもので決めつけてしまっているという点では、この二つの著作は繋がっていると感じました。

それにしても、後者のイジメの事例で、イジメの被害にあった人は「思い当たる節がない」「これというイジメの原因がない」と書かれています。最近のイジメは、マスコミなどから伝わってくる情報を見る限り確かにそんな気がします。

ただ、得てして、その当事者たちは、いじめる理由があると思っているものだと思います。その理由が、大人から見たら、取るに足らないもの、とてもいじめる理由になんかならないと思えるようなものであったとしても、彼らには十分いじめる理由になるのだと思います。

あたしも小学生以来、いじめられっ子、嫌われっ子でしたから、わかります。あたしの場合、あたし自身がいじめられる理由がわかっていました。と言うよりも、それなりに自覚しておりました。だからといって、いじめられても平気というわけではないですが、「こんな人間じゃ、いじめられても仕方ないよな」と、諦めている部分もありました。

幸いにも、あたしは図太く、自殺もせずに今まで生きてきましたが、小中高生などのいじめを苦にした自殺のニュースを聞くと、やはり同情してしまいます。あたしなど、自殺もせずに図太く生き延びられるような根性だからいじめられたんだと思いますが......

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