2010年4月14日

WhoではなくWhy

引き続き『日本語は亡びない』を読んでいます。いや、読み終わった、です。

なかなか刺激的でした。日本語論と言うよりは、日本文化論とも言え、途中の音韻学的な部分は、かなり歯ごたえもありましたが、読み応えも十分でした。

さて、今回もその本筋とは無関係(?)に、その中の気になったところを......
九・一一の意味を再び問うなら、当時の大統領ブッシュが問うべきだったのは「なぜこんな状況になったのか」という「Why?」だった。そうではなく、「誰が俺たちをやったのか」という「Who?」しか頭になかった。(114ページ)
この件を読んで、わが意を得たり、と思いました。

言うまでもなく、9・11については、いろいろな論評がされていますし、亡くなった方はとても気の毒だと思います。テロは許せないし、あってはならないことだと思います。

でも、あたしが当時、この事件というかテロをニュースで知ったとき、真っ先に思ったのは、「アメリカ、ざまーみろ」という感覚でした。この感想がきわめて不謹慎なものであることは承知しています。でも、上に引用した文章のように、アメリカはなぜ自分たちが攻められるのか、世界から支持されないのか、そのことをもっと虚心坦懐に見つめるべきだったのではないかと思うのです、というか思ったのです。

それは、独りよがりの大東亜共栄圏、五族共和、王道楽土などを唱えて、肝心のアジアの民衆の支持を全く得られなかった、かつての日本に二重写しに感じられます。そういう歴史の過ちを犯した日本だからこそ、アメリカにもっと意見できたのではないかという思いが強かったです。

もちろん、だからといってテロリストたちの主張や立場を擁護したり弁護したりするつもりはありません。ただ、泥沼化した状況を打開するには、アメリカがもっと自分を反省しないと次の展望は開けないのではないかと、そう思ったものでした。

結局、アメリカは、なぜ9・11を起こされたのか、いまだに理解できていないのではないでしょうか?

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