2010年4月23日

本屋大賞のことから......

今年の本屋大賞が、冲方丁さんの『天地明察』に決まったというニュースを聞いて、ふと思いました。

今回のノミネート作品、結局一つも読んでないなあ、と。

それでいいのか(?)と問われても、食指が動かなかったわけですから致し方ありません。それに、だからといって、ふだん全く本を読んでいないわけではなく、むしろ、自分なりにいろいろ読んでいたわけです。

実は、逆説めいていますが、あたしみたいな人間がもっともっと増えれば、本屋大賞なんて必要なくなってしまうんですよね。自分で読みたい本を選べて、実際に買うなり借りるなりして読んでいる人なわけですから、わざわざ書店員さんがお勧めしなくなって大丈夫。(注:別に本屋大賞が必要ないと言っているわけではありません。現状では絶対に必要だと思っています。)

だから、本当は、そういう人を増やすようなことに文部科学省の役人も知恵を使ってもらいたいものです。朝読、家読という活動があるじゃないか。それによって子供たちの読書量はこの数年増えているんだぞ、と言われるかもしれません。

うん、そうかもしれないです。でも、それならなんで、出版界の不景気って立ち直る気配が見えないのでしょう? 本って、文庫や新書に限らず、ちょっとした単行本だって、2千円台のものが多いです、ゲームだ、ケータイだと散財している高校生にとっても、決して高い金額だとは思えません。

実際の金額では高くないのに、消費には向かってないとしたら、やはり本というもの自体に魅力がないのでしょうか? いや、魅力がないのではなく、魅力をアピールできていないというのが正解ではないでしょうか?(これは書店だけの問題ではなく、出版社にも過半の責任があると思ってます。)

あ、話がずれてしまった。

本屋大賞ノミネート作品を読んでいなかった、ということで思ったのは、あたしって、文芸作品を読まない人なんだなあ、ということです。改めて自覚しました。全く読まないわけではないです。切ない恋愛モノとか好きで読みますが、網羅的に読んでいるわけではありません。

で、あたしはフィクションよりもノンフィクションが好きなんだ、ということを自覚しました。よく買う本も、中国モノの文庫や新書などが多いですし、現代中国を舞台としたエッセイとかルポなんかが多いです。あとは歴史モノも小説よりは資料的なものを好んでいます。やはり、高校の頃から、韓非子とか孫子とか、論語や老荘なんかを読んでいたからなのでしょうか?

推理モノもほとんど読まないです。でもテレビの二時間ドラマなどは時々見ます。方凝らずに見てられるからですが、事前に犯人をばらされても、そんなに(全く!)気になりません。これも、ミステリー好き、推理小説ファンにはたぶん全く理解できないことかと思いますが......

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