2010年3月11日

韓非子を読め!

このところ、何故かヒルティの『幸福論』の注文が増えていて、あたしの勤務先のTwitterでも数日前に担当者が「原因不明」とつぶやいていたのですが、ようやく理由が判明しました。そのこともTwitterでつぶやかれていますが、しかし、あえてあたしの勤務先のでなくとも翻訳は他社からも出ているのに、と思います。

いえ、もちろん、うちのを取り上げていただいてとてもありがたいのですが、それにしてもディスカヴァーさんのニーチェといい、なんか混迷の時代だからなのか、哲学が売れていますね。

それも中途半端なトンデモ本でもなければ、硬派な翻訳でもなく、うまーくその中間を狙った感じのものがヒットしているようです。興味深い現象です。

ちなみに、あたしは幸福論は、アランのも、ヒルティのも読んだことないです。(ヒルティの『眠られるぬ夜のために』はちょっとだけ読んだことありますが記憶にナシです)。どうも「幸福論」というタイトルには腰が引けてしまいます。

何が幸福だ、他人の不幸こそが真の幸福でしょ、とひねくれ者のあたしは叫びたくなる(つぶやくのではなく)わけでして、どうせなら『韓非子』を読んでくださいよ、と言いたいです。

『韓非子』は、イジメと嫌われに悩んでいた、学生のころのあたしが出逢った運命の書で、あたしのその後の人生を決定づけたと言っても過言ではない書です。(運命の人には出逢ったことがありません......涙)

『韓非子』には、幸福なんて甘っちょろいことは書いてありません。他人を信じるな、人は孤独だ、そんなことばかりが書かれています。

人間関係に悩んでいる人には、目から鱗の一書だと思います。

中国古典ですので、原文は漢字だけが並んでいるのですが、翻訳(現代語訳)も以下のようにたくさん出ています。



読むのであれば、一番のオススメは冨山房の「漢文大系」所収の『韓非子翼毳』なんですが、これには読みやすい現代語訳がついてなくて、全くもって専門家向けの本です。

なので、かつては筑摩叢書で出ていて、その後、現在はちくま学芸文庫に収められている『韓非子〈上〉』『韓非子〈下〉』がよいかと思います。

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