2010年3月 4日

青春の一冊

先のJ・D・サリンジャー氏の逝去に伴う<ライ麦狂想曲>ですが、外国人作家の死としてはかなり異例のことだと思いますが、多くの新聞がこの件を取り上げていました。

もちろん書店からの問い合わせにしろ売り上げにしろ、ものすごい反響というのが、嘘偽りのない状況描写です。

で、どうしてこれだけの反響になったかをあたしなりに考えてみますと、新聞や雑誌などの記事を書いた人たちの世代が、ちょうど学生時代に「ライ麦」を読んでいた世代だったからだと思うのです。だからこそ、あれだけ思い入れのある熱い記事が紙面を飾ったのだと思います。

で、確かに「ライ麦」は学生時代に読んでおくべき一冊である、と言われていた時代があったようなのです。「ようなのです」という書き方をあたしがしたのには理由がありまして、あたしの学生時代を思い出してみますと、親や教師から「ライ麦」を薦められた記憶がないからです。

確かに、あたしは小さい頃から本が好きで、人や親、先生から薦められなくても、本は自分で見つけて読んでましたし買ってましたから、もしかしたら先生が薦めていたとしても、最初から聞いてなかった、耳に入ってこなかったのかもしれません。それに、そもそも「夏の100冊」とか「夏休みの課題図書」を読んだという記憶もありません。いったい何を読んでいたのだろうか、という思いがします。

で、とりあえず、「ライ麦」を読んでおくべきと言われる高校時代にあたしが読んでいた本、つまりあたしの青春の一冊は何かと思い出してみますと、真っ先に挙がるのは「韓非子」です。中国古典です。それとマキャベリの『君主論』です。

あたしのウェブサイトをご覧いただければ、あたしがどれほど中国にのめり込んでいるかということがわかっていただけると思いますが、そのきっかけはこの『韓非子』です。そのあたりの事情はこちらを読んでいただければわかると思いますが、あたしが『韓非子』や『君主論』に惹かれたのは、小学校時代以来、いじめられっ子、嫌われっ子だったことが大きく影響していると思います。

ずーっとクラスで好かれていなくて、仲のよい友達もできなかったあたしは、やはり人生って何だろう、人って何のために生きているのだろうという悩みを抱えて、哲学に興味を持ち始めました。それと、もともと歴史小説が好きだったとこともあって、そこに出てくる「孫呉の兵法」などの言葉に漠然たる興味を覚え、それらが結びついて中国思想に傾倒したわけです。で、しっくりきたのが「論語」や「孟子」などの正統派儒学の思想ではなく、「韓非子」「荀子」といった性悪説に基づく思想でした。

初めて「韓非子」を読んだとき、なんて自分の気持ちを代弁してくれているんだ、と心の底から思ったものです。「他人を信じてはいけない」などの言説に勇気づけられ、高校時代もあたしは友達もできず、クラスから嫌われた存在で三年間を過ごしました。

あたしにもっとも影響を与えた本は、と問われたら、間違いなく、いつだって「韓非子」と答えるでしょう。

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