2010年3月31日

朝の悲しみ

講談社文芸文庫所収の『アカシヤの大連』読了。

大連は行ったことのないですが、いつかは行ってみたいなあと思っていた街です。ロシアのヨーロッパ風都市計画の跡を残した、非常に美しい街だという印象と、二百三高地などの激戦でも知られるように、常に戦火と歩んできた街という、どこか二律背反な印象を持っています。

そんな大連にまつわる著者の思い出を衷心とした作品集でしたが、あたしはその中の「朝の悲しみ」に心をふるわせました。朝の通勤電車の中で読んでいたのですが、つい涙がこぼれかかりました。

別にあたしは既婚者ではありませんので、著者が描くような伴侶なくした深い悲しみなど、所詮理解できませんが、孤独の悲しみのようなものなら十分に理解できます。

それに、どうしたって、もう手に入らない愛する人、という意味では、あたしも著者も似たようなと言っては失礼ですが、あたし的にはシンパシーを感じしてしまうので、そのあたりがあたしの涙腺を緩ませた原因かと思います。

この季節、いまを盛りと東京では桜が咲いていますが、あたしにとって桜は悲しい花、死をイメージさせる花なので、こんな季節にこういう作品を読んだことが、悲しみを倍増させた理由なのかもしれません。




願わくは花のもとにて春死なん、その如月の望月のころ


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