2009年12月13日

羨望と憧憬と

昨晩の「小公女セイラ」、徐々に佳境に入ってきましたね。

とりあえず、寝ている間に部屋をあれだけ改造されても気づかないなんてありえないでしょ(?)という突っ込みはやめておきます。いやー、要潤、やってくれますわ。

しかし、今回は田辺誠一演じる亜蘭先生が初恋の人でもある院長先生に訥々と想い出を語るシーンが印象的でした。そこで明らかになる院長の思い、というかトラウマ。

つまりは、セイラのお母さんである薫子に対して、「ああいう女性になりたい」という憧れを抱くとともに、「自分は決してああいう風にはなれない」という諦めからくる羨望、その二つが複雑に絡まって、薫子の娘であるセイラに対して、あのように冷たい態度を取ってしまうわけです。

セイラに対する態度はともかく、薫子のような誰からも好かれる人に対する気持ちというのは、あたしにもよくわかります。あたしもどちらかといえば、学生時代は院長先生のようにクラスの人気者を遠くから羨ましげに眺めているタイプでしたから。

同じように振る舞っているはず、少なくとも、それほど他人から嫌われるようなことはしていないはず、それなのにあの人の周りにはいつも人が集まっていて笑いが絶えない愉しそうな雰囲気に満ちている、だけど、あたしはいつも独りぼっち。それはどうしてなんだろう?

こういう葛藤はよーくわかります。

結局、当時、あたしなりに出した結論というのは、「同じように振る舞っているはず」というのが、そもそもの大きな認識間違い、「他人から嫌われるようなことはしていない」なんてことはなく、無意識のうちにそういうことをやってしまっているんだ、ということです。つまり、嫌われるべくして嫌われているのであり、必然的に自分には人が寄ってこない、というわけです。

もうこうなると、無意識にそういう行動を取ってしまっているわけですから、直すなんて無理。諦めました。だから、友達なんか作ろうと考えるのをやめ、誰かと仲良くなろうという努力も捨て去り、最低限いまの状況をこれ以上悪くさせないようにするしかない、って思い定めたわけです。

幸いにも、あたしが小中学生の頃には、この十年くらいニュースで取り上げられるようになった「イジメ」というほど深刻なものはなかったですし、肉体的に被害や暴力を受けるということもなかったので、とりあえず登校から下校までを無難にやり過ごしていればよかったわけです。だからといって、最近のイジメられっ子よりはマシだと思われても、当時の自分を慰めることにはならないのですが......

ドラマで、学生時代のトラウマから、あのような性格になってしまった院長先生を見ていると、なんか自分を見ているようで、なんともやるせない気持ちになります。

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