2009年12月12日

気が合うと感じる瞬間

またもや「オトメスゴレン」の記事です。今回は

気が合う(フィーリングが合う)と感じる瞬間9パターン

です。

今回の場合、9パターンの中身はどうでもいいです。こういう風なことがしばしば起きれば、確かにその相手とは気が合うなあと思うでしょう。で、9つまではなくとも、一つあるいは二つくらいは一緒になったことがある人ってのも、人生振り返れば何人かはいるんじゃないかと思います。

ただ、あたしの場合、「気が合う」というのではなくて、「ウマが合う」と言いますか、「しっくりくる」と言いますか、そういう感覚の方が強いです。そんでもって、「この人とはウマが合うなあ」と思えた人ってのが、これまでの人生で一人もいないんですよ。

ちょっと大袈裟かもしれないですけど、ウマが合うっていうのは、つまり同性なら親友、異性なら恋人って思えるような間柄だと思うのですが、自慢じゃないですけど、そういう対象に巡り会ったことがありません。

そこそこ仲がよい、比較的うまくやれている、という程度の間柄はそこそこありますが、そこまでです。むしろ、どんな人であっても、なんか距離を感じることの方が多いです。でもって「ああ、この人とはこれ以上は親しくなれないなあ」とか「この場限りのつきあいで終わるな」という風に思ってしまうのです。

ま、実際のところ、中学に入れば小学校時代の級友とは没交渉、高校に入れば中学時代の級友とは没交渉、大学に入れば高校時代の級友とは没交渉、社会人になったら大学時代の級友とは没交渉、という人生を送ってますから、あたしの人生がそのことを証明しているわけです。

社会人になってからは、もう友達なんてできないでしょ。知り合う人はあくまで仕事を通じてのつきあいでしかなく、もしあたしが会社を辞めたとしたら、それでプッツリと縁が切れること間違いなし、だと思います。

会社の同僚にしろ、仕事上知り合った人にしろ、学生時代の友人といまだに逢ったり遊んだり食事したりしているという話を聞くと、羨ましいとは思わないのですが、どうしてそういうつきあいができるのだろうかという不思議な気持ちを抱きます。特にこれといったことをしたわけでもないのに、あたしの場合はきれいさっぱり過去を捨て去って(?)きてしまっているので、どういうことをしたら、そういう過去を引きずった人生が送れるのだろうかと、不思議でなりません。

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