2009年12月11日

こんな私が大嫌い?

書店回りの途次、お店の担当の方を待つ間、何気なく書棚を眺めながら、ついついパラパラと立ち読み。



先日の朝日新聞読書欄で、あたしの知り合いの書店員さんも薦めてましたっけ、この本。

まあ、容姿やスタイル、勉強の出来不出来、性格など、理由は個人個人でさまざまだけど、自分嫌いの呪いをかけているのは他でもない自分なんだ、ということが書いてあります。で、たぶん、自分が嫌いになって、この世が嫌になって自殺してしまう若者も多い昨今、うさぎさんなりに、それを止めようと励まし勇気づけている本なんでしょう。

あたしも自分が大嫌いですし、それは容姿・スタイルもあるかもしれませんが、なにより性格が嫌いだと、しっかりと客観的に自分を分析できております。

でも、だからといって死のうなんて考えたことはありません。いや、思い起こせば、小学校や中学校の頃は、いじめられっ子・嫌われっ子だったので、それがつらくて、少しは死んじゃおうかと思ったこともあります。

ただ、そんなことでは死にたくないと強く思って自殺を踏みとどまったのではありません。思考方向がまるで逆で、あたしの場合、自分は絶対に、自分をいじめたクラスメートよりも長生きして、あいつらのいない(存在しない)世界を味わうんだ、ということを強く思い、それで今日まで元気に生きているのです。もちろん、「あいつらのいない世界」を作るために「あいつら」を殺そう、ということも考えませんでした。あたしから見たら無価値な連中のために犯罪を犯すなんてバカらしいと考えたのです。

ところで、本書は、上にも書いたように「死んじゃダメだ、どんな人にもいいところはあるんだよ」という、言葉を悪く言えば、ありきたりなメッセージを投げかけているように感じられましたが(立ち読みの斜め読みなので、間違っていたらスミマセン)、あたしはそういうメッセージって、どうも首肯できません。

むしろ逆です。

「どんな人にもいいところはある」とか、もう少し広げて「誰でもかけがえのない人間なんだ」「世の中に不必要な人間なんていないんだ」という議論には、どうも馴染めないんです。むしろこの世の中って、別にいてもいなくても構わない人がほとんではないかと思ってます。もちろん、その中にあたしが入っていることも重々承知しています。

ただ「いてもいなくても構わない」からといって、そういう人たちを「消してしまえ」とか「いなくなれ」とまでは思いません。必要悪とは言いませんが、とりあえず生まれて来ちゃったんだから、寿命が尽きるまでは生きてみればい、という感じです。

つまり何が言いたいかと言いますと、誰からも必要とされてもいなければ価値も見いだされていないというのは逆に考えれば非常に気楽に生きていけるってこと。あたしがどうなろうとあんたには関係ないでしょ、と開き直って生きていけるのではないか、と思うのです。

やっぱり、これじゃ友達できないよな、ということは自分でもわかってますが、あたしと友達になっても何もいいことはないから、無理してあたしと友達にならなくてもいいでしょ、と割り切って考えられるようにはなっています。その程度の達観の境地には至れるようになりました、この歳まで生きてきますと......

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