2009年12月 6日

身につまされる

昨晩はドラマ「小公女セイラ」でした。内容をゴチャゴチャ説明しても詮無いので省きますが、非常に切ないと言いますか、身につまされるシーンがありましたので、それだけご紹介いたします。

昨日の回では毎年恒例の父母参観日があったわけですが、セイラのいるミレニウス女学院の生徒で、セイラのライバルでもある武田真里亜の父親が、こっそりと娘の様子を見に来ます。

この父親、娘をミレニウス女学院に通わせているくらいですから大金持ちなのですが、見た目が冴えません。それに真里亜は晩年にできた子供なのか、それとも養女なのか知りませんが、どうみても真里亜の年齢からすると年をとりすぎています。

そして、非常にわかりやすい設定ですが、娘の真里亜はそんな父親をみっともなく感じ、決して学校へは来るなと念を押します。確かに、年頃の女の子として、まだ十分若いと言える級友たちの父親と比べられたら、居たたまれないでしょう。

そんな父と娘の設定を見ていますと、この歳になっていまだ結婚もしていない自分がダブってしまいます。あたしも、もしも、もしも、万が一、否、億が一の確率でも、この先結婚することができたとして、子宝に恵まれたら、授業参観に行っても他の子の親よりもかなり年寄りになってしまうでしょう。恥かきっ子、という言葉がその昔存在しましたが、そんな感じです。いや、恥かきっ親でしょうか?

嗚呼、可愛そうな我が子!(←どこにいるんだ?)

それでも、ドラマの中の真里亜の父親は、金持ちだからはるかにマシです。あたしなんか金もありません。第一、彼は財産だけではなく、家庭も娘も持っているわけではないですか! あたしとは月とすっぽん、天と地の開きがあります。

たとえば娘に邪険にされても、家庭を持てて娘がいるだけいいじゃないか、そう思うのは結婚したことのない人間の妄想なのでしょうか? 邪険にされるくらいなら娘も要らない、家庭も要らない、結婚なんてするんじゃなかった、そういう気分になるものなのでしょうか?

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