2009年12月31日

今年も......

残すところ、あと数時間。何事もなく過ぎ去っていきそうです。

今年を振り返ってみますと、全般的には平穏無事に終わったという感じなのですが、悪く言えば今年も何もなく無為に過ぎていった、ということでもあります。

ただ、そんな中、決して自慢できることではありませんが、思い返してみると忘れられないことが二つあります。

一つは、尿管結石になったこと。もう一つは、生まれて初めて救急車で運ばれたことです。この二つは忘れられません。しかし、思い起こしてみますと、どちらも今年の上半期の出来事で、下半期は本当に何もなく過ぎて行ってしまいました。

あとは、妹夫婦に二人目の子供が産まれたことですかね。

それで思い出しました。

最近は、時々、妹の旦那が仕事だったりすると、あたしが代わりに妹の買い物のために車を出してやることがあるのですが、当然買い物先は「アカチャンホンポ」とか「ベビーザらス」といった子供用品店で、買い物に来ている客も、子供を連れた若い夫婦かおじいちゃん、おばあちゃんといった人たちで、あたしは妙に浮いた気分を味わってます。

で、最近気づいたのですが、少し前まではこういうところへ行った時に子供を連れた夫婦を見ると、あたしもそのうちこんな風な家族を持つのかなと、想像というか夢想というか妄想することができていたんです。それが、この数年、どうもそういう想像が働かなくなりました。

書店回りで昼下がりのショッピングセンターなどを訪れて、やはり子連れの夫婦などを見ても、少し前までは自分ももうじきこんな家庭を築くんだ、という感慨を持てていたのですが、最近は全くそういう近未来の自分のイメージがわきません。

率直に言って、自分が結婚して、隣には奥さんがいて、二人の間には子供がいるという図柄をイメージすることができなくなっているのです。ついでに言えば、自分に恋人ができるということすら想像できなくなっています。

なんか一つ吹っ切れたというか、高みに登ったというか、行くところまで行っちゃった、という感じです。2010年もこんな感じでよいのでしょうか?

悲しみを聴く石

『悲しみを聴く石』読了。

この手の話は、もしかすると一般的な日本人読者にはつまらないストーリーかもしれないですね。宗教的な厳しさもなければ、身近で人が死に家が破壊されるような紛争も起こっていないわけですから。表面的には、小説だったら、もっと衝撃的なことが起きたり、語られたりしないのかなと期待してしまうでしょう。

ただ、そういう作品なり著者なりの背景を理解できないまでも、それを想像しながら読むと、本書はものすごく行き詰まるストーリーなんだと感じられます。著者が自分の母国語では書けなかっただろうと語っているのもわかる気がします。

帰省

昨日、一昨日あたりから、朝晩のニュースでも、帰省による交通機関の混雑状況などがトップニュースとして扱われるようになってきました。ああ、年の瀬なんだなあと思います。

前にも書いたかもしれませんが、あたしには田舎というのがなく、父方、母方ともに故郷はあるにせよ、もう世代も変わっていて盆暮れに帰るようなところではありません。

考えてみますと、小学校の頃までは父方の田舎(千葉県の外房にありました)へ夏休みになると行ったものですが、そこも父の田舎(生まれた家)ではなく、本家筋に当たる疎開先でしかありません。中学以降は行かなくなりました。

なので、基本的にあたしの人生、盆暮れに故郷へ帰るという習慣がありません。毎年毎回、高速の大渋滞、ぎゅうぎゅう詰めの新幹線のニュースなどを、まさしく他人事として見ていました。ちょっとした旅行にしても、大学は休みが多いですし、あたしの勤務先は比較的有休を取りやすい会社なので、わざわざ混んだときに出かける必要はありません。あえてそういう時期を避けて行きますから、やはり渋滞・混雑とは無縁です。

そもそも、上に書いた千葉へ出かけるときの車で、子供の頃のあたしは毎回気持ち悪くなって吐いていました。小学校時代、遠足のバスで吐いたこともあります。だから車で出かけるのは基本的に嫌いなのです。幸いなのか不幸なのか、「ねえ、ドライブに行こうよ」としなだれかかって甘い声で誘ってくるような恋人にも恵まれませんでしたので、休みの日に混雑するのがわかっていながら車で出かけるような体験もせずに人生を送ってきました。

しかし、数年前に妹が結婚しまして、妹の旦那の実家は静岡なので、今年は正月明け、成人式絡みの連休に帰省すると聞いて、俄然、盆暮れの帰省が身近に感じられるようになりました。もちろん、あたしが行くわけではありませんけど、やはり身近な人間がニュースで見ているあの狂想曲の中に入るのかと思うと、ちょっぴり新鮮な気持ちになります。

で、時々、取らぬ狸の皮算用ではありませんが、思うのです。こういう人生を送ってきたので、もし万が一、結婚できたとして、相手が盆暮れには必ず実家へ帰省する人だったらどうしよう、という、本当にくだらない心配です。どんなに混雑していようが、必ず帰省すると心の底から思い込んでいて何の疑いも抱いていなかったら、あたし大変なことになるだろうなあ、と思うのです。

どうもこの心配はただの杞憂に終わりそうですが......


ちなみに、この年末年始、あたしは例年どおりどこにも出かけません。除夜の鐘を突きに行くこともなければ、初詣にも行きません。

これでよろしくて?

『これでよろしくて?』読了。

ざっとストーリーを書いてしまうと、主人公は30代半ばの主婦。子供はナシ。夫と二人暮らしです。ひょんなことから年齢も職業もバラバラな4人が月に一回集まって、ああだこうだとたわいのない話をする「これでよろしくて?同好会」に誘われ参加するようになります。

一方、主人公夫婦のマンションには、夫の妹が短い期間居候をしにやってきて、彼女が帰ったと思ったら今度は義母が転がり込んできます。義母の居候は数ヶ月に及び、表面だっては嫁姑問題は起きないものの、主人公の心の中にはもやもやしたものがたまっていきます。もちろん、夫はそういう妻の心の葛藤には無頓着です。

義母が加わった、夫との生活の中で主人公は自分の抱えている悩みを膨らませていくものの、「これでよろしくて?同好会」の活動によって自覚していない(自覚できていない)悩みに気づかされ、同好会メンバーの話を聞きながら肩に背負っているものを下ろしていきます。

義父の入院という緊急事態で義母との同居は解消されますが、義父母と暮らす義妹(主人公の夫はさん兄弟の長男、弟が結婚して親と同居し、さらに未婚の妹も実家で暮らしています)の存在が、同じ嫁という立場なので何かと気になります。

結局、主人公は周囲を気にしすぎるから悩むんだという、至極まっとうな結論に達し、一皮むけて大団円ですが、言ってしまえば、同好会シーンのガールズトークにしても、姑との関係にしても、そしてその時の夫の態度にしても、どれもきわめてありきたりで、過去に文学やドラマ・映画で何度も描かれたものです。

ウジウジしていて自分の意見をサバサバと口にできない主人公が自分勝手に悩み落ち込んでいく物語は、あまり好きではありませんが、世間にはこういう人が多いのでしょうね。

あたしなどは人の意見も聞かずに自分の言いたいことだけはっきり言ってしまうタイプなので(言われた相手の気持ちも考えずに)、こういう主人公が抱えるような悩みには無縁ですね(そもそも結婚してないから嫁姑問題なんてありえないし)。

それに「これでよろしくて?同好会」にも入れない(入れてもらえない)でしょう。あまりにも身勝手なので。あたしは、他人の悩みが理解できないですからね。たぶん、同好会に入ったとしても「そんなことで悩んでるなんてバカみたい」とか言いそうです。そしていずれ「あの人、同好会やめてくれないかなあ」と回りのメンバーに思われるようになるのだと思います。

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