2009年11月16日

今ここにいるぼくらは

集英社文庫の『今ここにいるぼくらは』 読了。

たぶん、それなりの大人になってから、自分の小学生時代を振り返った回想記のような作品で、たぶん、この本を読んだ人なら、誰もが自分の小学生時代を思い起こすのでしょう。

主人公は小学校3年生の時に関西から関東へ越してきて、関西訛りをからかわれたりしたことで、最初は全く打ち解けず、自分の居場所がどこにあるのかわからない、孤独な学校を生活を送っていたのですが、徐々に友だちもでき、卒業の頃にはしっかりとそこに根をはり、立っている少年になりました。それには主人公自身の性格もさることながら、理解し合える友だちの存在も欠かせないものであったのでしょう。

美しい物語です。あの頃は、少年時代は、誰もがキラキラ輝いていたなあ、という幻想を抱かせます。あの頃の無垢な自分を思い出す人も多いのではないでしょうか?

でも、あたしは違います。

あたしの小学生時代は、いじめられた記憶、仲間はずれにされた記憶、クラスで嫌われていた記憶ばかりです。小学校時代の記憶こそ残っていますが、小学校時代の級友との想い出というのが、ほぼありませんし、友だちの顔も思い浮かびません。たぶん、嫌な思い出ばかりなので、記憶の中から消し去ってしまっているのだと思います。

中学になっても、やはりクラスから嫌われている状況に大した変化はありませんでした。小学校時代とは、同級生の大半が異なっているというのに、嫌われ者であるという状況にさほどの変化もなく、つまり自分はどうあがいても嫌われる人種なんだという思いが強くなり、確信に変わっただけです。

なので、中学時代は現在に近いぶん、記憶も鮮明にはなりますが、やはり想い出と呼べるようなものはありません。むしろ、嫌われていたという記憶が、小学校時代より鮮明に残っているだけです。


本作の主人公のように、あたしは居場所のない状態を乗り越えることができなかったわけです。転校生になったこともないので、主人公よりは恵まれていたはずなのに、そんなことは関係ありませんでした。至極普通に学校生活を送っていたつもりだったのですが、結局は嫌われるような人間になっていたのです。

もしあたしが作家になったとして、自分の少年時代を回顧して小説に仕立てたとしたら、とてもこんな爽やかな小説は書けないでしょう。たぶん、その当時したくてもできなかった残虐な方法で、クラスの連中に仕返しをするような小説になってしまうと思います。

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