2009年11月 4日

ヤマアラシのジレンマ

先にちょっと触れた「好きにさせる」心理学~知ってるだけでもっと愛される44の心理効果~』の中に、ヤマアラシのジレンマの話が出てきます。心理学などの本を読んでていると時々出てくる話柄なので知っていましたが、読んでいて改めて感じるところがありました。

つまりヤマアラシは、寒いからお互いに肌寄せ合いたいのに、あまりに近づきすぎるとお互いを自分の針で傷つけてしまうから近づけない、という話です。最後にはお互いに傷つきもせず暖まれる、ちょうどよい距離を見つけてそこに落ち着くらしいのですが、これを人間関係に当てはめて、近づきすぎても離れすぎてもいけないという教訓が得られるわけです。もちろん心理的距離の話ですが。

あたしなど、たぶん近づいているように見せかけて実際にはどんどん遠ざかっていくタイプなので、最後には適度な距離感と言われても、結局は関わりにならないのが適度な距離感だと思ってしまいます。自分の体は自分で温めるしかない、と達観しているわけではないですが......。

あたしの場合、第一印象はあまりよくないです。昔から取っつきにくそう、話しかけづらそうと言われてきました。人格改造などした覚えはないので、今でもきっとそんなタイプでしょう。

でも、少し話をすると面白くていい人、って思われるようです。そこまでは、まあビジネスライクなおつきあいとしては合格点ではないかと自負しております。ただ、そこから先、友だちづきあいということになると話は別です。

あたしは、もう少し親しくなると、持ち前の性格の悪さとか人格の卑しさが、意地悪さ、冷たさが、そこかしこに見えてしまいますので、人とは深くつきあえません。人生において友だちと言える存在は空前絶後です。

だからなのか、他者に対しては、上に述べたような第二段階のつきあいで止めておくように心がけて
おります。このうわべだけを取り繕っている自分が嫌いで、こういう外面の良さってのが、亡くなった父親に似ているので、ますます自分が嫌いになります。

また、この本では人と親しくつきあうようになると(より深いつきあいになるには)自己開示が必要だと書いてあります。自己開示とは、例えばデートでは世間話ばかりでなく、徐々にプライベートなことを話題にする、といったようなことらしいです。

あたしは、上に書いたように表面だけ「いい人」を演じているので、そういう自分を作り上げて、「自分はそういう人間なんです」的な話をしがちです。だから、意外と自己開示はしていると言えなくもありません。でも、あたしみたいな自己開示の仕方は、この本で書いている自己開示とは本質的に異なっていることでしょう。

そういえば大学時代に先輩から「自分のことを話しているようで、本当の自分ではないイメージを相手に植え付けている」と指摘されたことがあります。つまり、あたしは自己開示をしているようでいて、それは自己ではなく、あたしが作り上げた「私」を開示しているだけ、だということです。なかなか鋭い先輩でした。

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