2009年10月24日

おひとりさま

昨晩のTBS系ドラマ「おひとりさま」、観月ありさはやはりコメディエンヌだなあと感心するものの、あの観月ありさがもうこんな役をやる歳になったのか、と感慨もひとしおです。

「おひとりさま」という言葉自体は、既に新しくも何でもなく、使い古されたと言うにはまだ早いかもしれませんが、かなり人口に膾炙した言葉だと思います。

「おひとりさま」と言われれば、あたしも確かにそうかもしれませんが、あたしの場合はまだ母親と同居しているので、たぶん世間で言う「おひとりさま」には当てはまらないのでしょう。そう言えば、数年前、とある書店に営業で寄った時、新刊として入ってきたばかりの上野千鶴子『おひとりさまの老後』を見て、「これは売れるだろうなあ」と感じたのがつい昨日のことのように思い起こされます。



それはそうと、昨晩のドラマを見ていて、世間的な定義をもう少し広げ、つるむ仲間もいなくて実は寂しいおひとりさまと考えると、あたしなんか小学校には行ったときから「おひとりさま」だったのではないか、という気がします。気がするのではなく、事実おひとりさまであったと言えます。

高校に入ったときに、中学時代の友だちとも相変わらず付き合いを続けているクラスメートというのがそれなりにいました。大学に入っても高校時代の友人と付き合いが続いているクラスメートはいました。社会人になってからも学生時代の仲間としばしば逢ってる人ってのはかなりいます。

いま自分が籍を置いている環境によって作られた仲間とか知り合いだけでなく、それ以外にもその人を取り巻く人の輪ができているということに、あたしのように友だちのいない者は、しばしば羨望を覚えるのです。

あたしはの場合、中学に入れば小学校の同級生とは一切交流をなくし、高校に入れば中学のクラスメートとの交流は消え、大学に入れば高校時代のクラスメートとは没交渉、社会人になったら大学時代のクラスメートとは音信不通、というように、常にいま所属している社会で出来上がった関係しか存在しません。

これぞまさしく究極のおひとりさまなのではないか、ドラマを見ていてそう思った次第です。

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