2009年10月18日

穂村弘「世界音痴」注(五)

ところが高校生になったとき、私は自分がまったく女の子に相手にされないことに気がついた。やっぱり、と心のどこかで思いつつ、ショックを受ける。(P.143)
あたしの場合、小学校以来、ずーっと共学で、女の子と話ができないということはなかったです。共学だからといって女の子と話ができるとは限らない、という意見があるのはわかっていますが、幸いにもあたしの場合、ごくごく普通に女の子(クラスの女子)と話をするのは苦手ではなかったです。

彼女、ガールフレンド呼べるような女の子がいなかった(←別に過去形にする必要はないk、今もいないのだから)のは事実ですが、そんなことよりも友だちと呼べるような存在がいなかったことの方が、あたしの学生時代を暗くしています。つまりあたしの場合、男も女も関係なく、表面的にはふつうに話ができるという関係を築くことはできるのですが、そこから一歩踏み込んで友だちとか親友(同姓の場合)、恋人(異性の場合)と呼べるような関係を構築することができなかったのです(←今もってできないですけど)。
「誰のことも、一番好きな相手のことも、自分自身に比べたら十分の一も好きじゃないよね、あなたは」。十年間つきあっていた相手が、或る日、私に向かってそう云った。(P.192)
穂村さんは他人を愛せない、誰よりも自分が好きっていうタイプの人なんですね。あたしも他人を愛せない(とは思いたくないのですが...)人だと思いますが、それよりも自分が大嫌いな人間です。自分の嫌なところがわかっているので、だからこそ余計に自分が好きになれません。

もしあたしが第三者だったら、あたしとは絶対に友達にもなりたくないですし、異性なら絶対恋人になんかしたくはない人間です。そんな自分が大嫌いです。先日、小池昌代さんと穂村弘さんのトークイベントで、どういう話の流れだったかは忘れましたが、穂村さんが、モテない、モテないと思っていても、街を歩けばどうしてこんな美人がこんなオトコとつきあっているんだというカップルをよく見かけるので、それなら自分だってもうちょっと頑張ればモテるはずだと思える、確かそんなような趣旨の発言をされていました。

確かに、穂村さんの言うことはもっともで、世間には「これだけの美人なんだから、もう少しいい男いたでしょ?」と言いたくなるようなカップルがそこら中に存在します。

でも、あたし思うんです。そういうカップルの男性って、やはりよくよく観察してみると(←とはいっても通りすがりにチラッと程度ですが)、やはりやさしそうとか、誠実そうとか、とにかく少なくともあたしよりは上だな、あたしは勝てないな、と思えるのです。

穂村さんは、何人かの女性とのおつきあいの経験もあるようですし、なんだかんだ言っても結婚できたわけですから、あたしなど望むべくもない高みに立っているのでしょう。

読んだ感想を書く