2009年10月18日

穂村弘「世界音痴」注(四)

何故なら流星群を観るためにテントを持って海に出かけたりしないからだ。行動力というか、エネルギーがないのである。(P.103)
これわかります。プチ引きこもりであるあたしなど、既に何度もこのダイアリーに書いているように休日に家から一歩も外へ出ないこともよくあります。大学の時や社会人になってから一人暮らしの人と話をすると、休みの日はほとんど家にいない、必ず出かけている、なんて話を聞いて、かなり驚きというか衝撃を受けたものです。

穂村さんもたぶん同じなのではないでしょうか。そして、誰か誘ってくれる人がいたら、定見もなく「はい、はい」と出かけてしまう腰の軽さは持っているのではないかと思います。もちろん人とつるむこともなく、映画でも何でも一人でしょっちゅう出かけているという人は多いでしょう。まさしく「おひとりさま」ですが、一人ではなかなかきっかけもなくて出かけないという人、意外に多いのではないでしょうか? そうなると結局、よく出かけるかどうかというのは、誘ってくる人がいるかいないか、誘えるような相手がいるかどうか、ということがかなり大きなウェートを占めるのではないでしょうか?
「おまえ、まだ、そこにいたのか」、受話器のなかの第一声がそれだった。学生時代の同級生が十数年ぶりに電話をかけて来た。(P.112)
穂村さんはペンネームとは言え、世間に知られた仕事をしているわけですから、そしてここに書いてあるように学生時代から引っ越しをしていないので、こういう体験も成り立つのでしょう。あたしのように、学生時代のクラスメートが思い出してくれるような活動を何もしておらず、なおかつ大学4年の時に家族ぐるみで引っ越しをしてしまったような人間には、こういう体験はできっこありません。もちろん母校に引っ越しの通知など出すわけないので、高校の同窓会名簿にも、きっとあたしの欄は住所が空白になっていることでしょう(当たり前ですが、卒業名簿が届かないので確認は取れておりません)。

それでも、あたしだって引っ越したときには郵便局に一年間の転送をお願いしておりました。しかし、その結果、その一年で高校までのクラスメートからの手紙は一通も来なかったのです。まあ、卒業以来一切没交渉だったので当然の結果ではありましたが。
私の部屋の本棚には『世界の偉人伝』と『日本の伝記』がそれぞれ十数巻ずつ並んでいた。(P.135)
時代なのでしょうか? 子供の頃のあたしの家にも「世界偉人伝」のような、子供向けの伝記集がありました。全何巻だったかは覚えていませんが、10巻くらいはあったはずです。穂村さんはキュリー夫人とベートーヴェンがお気に入りだったと書いていますが、あたしはダメでした。

何がダメかというと「偉人伝」全体がダメでした。別に感動しないとか、そういう理由ではないんです。こういった「偉人伝」は、たぶん現在もそうだと思いますが、表紙にはそれぞれの人物の顔が描かれていますよね。幼い頃のあたしは、その顔が怖かったのです。夜中に本箱の中からじっとあたしを見つめているおじさん、おばさんたち。あの怖そうな目つきがダメで、本箱の方には顔を向けないようにして寝ていたものです。

ちなみに、小学校の頃は、音楽室の壁に貼ってあった、世界の大音楽家みたいな肖像画が怖くて音楽室に入るのが大嫌いでした。あの肖像画は、伝記集の表紙よりももっと厳つい顔をしたオッサンたちが、教室のどこへ逃げても睨んでいるじゃないですか。もう震えていました、あたしは。

読んだ感想を書く