2009年10月17日

穂村弘「世界音痴」注(三)

恋の三要素は<ときめき><親密さ><性欲>だと、私は思っている。このうちふたつが維持できれば、その恋は続く。一般的には、時間の経過と共に<ときめき>と<性欲>の値は減少し、<親密さ>は増大する。(P.76)
三要素説には首肯できるのですが、「時間の経過と共に」以下があたしとは違います。あたしは、「好きよ」「愛してるわ」といったセリフをよく口にするので、ほとんど挨拶化しております。(芹香ちゃんに対する涼音くんのように、by前略ミルクハウス)

でも、本当に好きな相手にきちんと「好きです」とは言えないので、いつまでたっても告白前のドキドキが続きます。なので<ときめき>はさほど減退しないのです。逆に、あたしの場合、これまでもこのダイアリーに何度も書きましたが、どうしても他人に心が開けないし、心底の親しさを持てない、絶対いつか嫌われるという思いが、一種の強迫観念のようにあるので、<親密さ>ってのが減っていきます。とりあえず最初のうちは親密になっていきます。が、ある一定の親密さまで来ると、そこから先へは進めません。一歩踏み出したら相手が一歩引くのではないかと思えて、怖いです。なので、今あるこの心地よい<親密さ>を維持するためにもそれ以上親しくなってはいけない、無理をして今ある<親密さ>まで失ってしまいたくない、という思いが強く働きます。このブレーキが発動してしまったら、もうそれは恋とは言えないのではないでしょうか?
例えばレストランの席を立ってから、私は必ず一度振り向いて自分の座っていた空間を見つめる。(P.85)
あたしもこれやります。なすや電車を降りるときも、座っていたところを念のため見てしまいます。ちなみにレストランとか飲み屋とかでは、生れつきの性格なのでしょう、参加者がいなくなってから、お店の人がテーブルなどを片づけ始めているようなときに、忘れ物はないか、自分のだけでなくみんなの分まで確認してしまいます。こうなると、心配性とかそういうことよりも、単なる仕切り屋・学級委員タイプの気の使い方ではないかと思いますが......

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