2009年9月 4日

夏の想い出

9月に入りまして、東京はしっかり秋モード。夏はどこへ行った(by鈴木祥子?)という感じです。

ルーチンワークの見本出しのクルマの中で、あたしはもっぱらFMを聞いているのですが(←カーステレオなんて付いていない会社のクルマです)、先週あたりは「夏の想い出」なんていうテーマでのトークがしばしば繰り広げられていました。

そうでなくても、朝のテレビの情報番組でもちょっとした話題の折に「この夏は?」的な話になることがあります。

で、聞きながらあたしも考えてみるのですが、しがないサラリーマンには夏の想い出なんてありっこないです。どこにも出かけてませんし、人を誘うこともなければ人から誘われることもない(たぶん、誘われても断わるだろうけど......爆)、何か夏の目標を決めてそれにトライしたわけでもない、そんなナイナイ尽くしの夏が毎年繰り返されます。

ところで、テレビラジオで語られる、と言いますかタレントが語っている「夏の想い出」ってのは、必ずしも今年の夏のことではなく、何年か前の話だったり、学生時代のことだったりします。

なので、あたしも遡って、もう少し前を思い出してみますが、少なくとも社会人になってからは何も想い出はありません。なら、学生時代は、と思い返してみても、やはり何もないです。子供のころの家族の思い出ってのも、ほとんど記憶に鮮明に残っているようなものはありません。

毎年夏には父方の田舎があった千葉の外房へ行ってましたが、それだけ。毎年同じようなことしかしてないので、想い出と言えるようなことは何もないです。中学のころからはもう行かなくなりましたし......。

高校や大学時代も、いわゆる友達や恋人とどこかへ出かけことってありません。せいぜいサークル合宿くらいでしょうか? でも想い出らしいものは何もないです。

考えてみると、あたしって、生まれてこの方ずーっと、親友と呼べる友達はいなかったし、恋人もいたことがないわけですから、そういう友達や恋人との思い出ができるわけがないんですよね。しかも、夏に限らず、春夏秋冬一年中、見事に分け隔てなく、いつだって、そうなんです。

つまりは、想い出を思い出そうとするだけ無駄ってことか......(爆)

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