2009年6月 7日

かなりちがうんだ日記

穂村弘『本当はちがうんだ日記』読了です。この本を薦めてくれた書店員さん曰く、この本を読むとあたしを思い出すということでしたが......

確かに、あたしって、こんな風にヘタレている部分ありますね。それくらいの自覚はあります。

ただ、やっぱり、こういう風には考えないなあ、とか、(穂村さんは)そんなこと考えてるんだ、という風に、違和感とまではいかなくても、自分との違いを感じる点もチラホラと見受けられます。

確かに、その書店員さんだって、せいぜい月に一、二度営業で行ったときに逢うだけのあたしのことを何でもかんでも知っているわけではないのだし(←知っていたら怖い?)、穂村弘のことだって同様でしょう。この程度の差異は、ごくごく一般的なものだと思います。

で、あたしなりに、ああ、穂村さんはそう考えるのね、と思ったところをいくつか......

学生の頃、一緒に住んでいた恋人が......(p.23)

ヘタレとか言ってるけど、同棲してんじゃん、なーんだ、という思いがフツフツとわき上がりました。穂村さん、あたしなんかより遙かに女性にもてるし、経験も豊富なようだし、友人も多そう。だって、恋人も含めて、いろんな人との会話がこの本の柱になってますけど、つまりはそういう付き合いの友人がいるってことでしょ?

私は自分の鼻先に垂直に切り立った巨大な壁を感じた。(p.34)

このエピソードは非常に共感できます。あたしにとってもラブレターとかバレンタインのチョコレートというのは無関係なものでしたし、そういうのに非常に縁のある人を見ると、静かに熱い嫉妬の炎を燃やしていたタイプですから。

そこで穂村さんは目の前に壁を感じるらしい。つるつるでとても登れない壁です。あたしの場合、ここが最大の違いですが、壁ではなく谷というか崖というか、そういうものを感じてました。つまり目の前(足下?)には大きく口を開けた崖があって、もちろんそっちへ行きたくはないのに足は勝手に歩を進める、いやむしろ地面が勝手に動いて、いつの間にかあたしの足の下の地面はなくなって、一瞬中空に浮いている自分を感じた刹那、崖の下に落ちていく感じです。

世界のどこかにみえないスタンプ帳があって、(p.57)

これはいわゆる司命神の話で、あたしの場合、こういうことを考える前に中国思想の中で学んでしまったのですが、いわゆる堪忍袋(穂村氏も本文中で言及してますが)というのは、昔の人が考えたスタンプ帳のことですよね。

しかし、こういう時にも穂村氏は話柄がガールフレンド絡みですね。ガールフレンドが「単なる女性のお友達」という意味なのか、「恋人」に近いニュアンスなのか、なんとも微妙ですが......

飛行機事故の現場から発見されるメモ。(p.92)

確か、御巣鷹山の日航機墜落事故の時でしたっけ、こういうメモがたくさん残っていたのは。まだ幼い息子にお母さんや家族のことを託すメッセージを書いていたり、奥さんに愛していると書いていたり。当時、確かあたしは高校生でしたけど、よく極限状態でそんなメモを残せるなあとしか感じませんでした。

今回、穂村氏がふと取り上げていたので改めて考えてみたのですが、あたしには血を分けた家族は母と妹しかいません。結婚もしていなければ恋人もいないので(過去にもいたことがないので)、この二人以外にあえてメッセージを残すような対象は存在しません。

でも、母や妹に何を書けばよいのでしょう? 何て書くかな? と考えて思いつきました。「あたしは死なない、死んでもきっと生き返る」、そう書くのではないだろうかと。

これが林間学校の思い出である。(p.112)

あたしも穂村氏と同じように修学旅行などの記憶、思い出が乏しい人間です。小学校の5年、6年の時は、それぞれ当時住んでいた杉並区の施設があった富士と富津に行きましたが、行ったという知識が残っているのみで具体的な活動や行動の記憶はありません。あえて言えば、バスに酔って苦しかった、ことくらい。

中学はやはり区の施設の菅平に行ったはずですが、言ったという記憶すらほとんど残っていません。修学旅行は上高地とか黒部方面でしたが、これはついに行きませんでした。だってバス移動ばかりで、絶対酔ってしまって旅行を楽しむどころじゃないと思ったからです。しかし、その程度の理由で修学旅行に行かないことをよく許可してくれたものですね。修学旅行の間中、学校へ行っていたのか家でのんびりしていたのか、その記憶すらありません。

高校では、奈良・京都へ行ったのですが、初日とか最終日のクラス別行動以外はすべて個人行動だったので(建前上は班別行動でしたが、各自バラバラに行動してました)、クラスメートとの思い出ってものがありません。

全身を透明な硝子のようなものにすっぽり包まれて、(p.124)

こういう世界との距離感というか疎外感というか、なんて言うのでしょう、ただ、あたしもよくわかります。穂村氏は硝子の箱のようなものに自分が入っていると感じたのですね。あたしもほぼ同じなのですが、ただあたしの場合、硝子は硝子でもマジックミラーで、あたしからは硝子越しに世界が見えているのですが、向こうからはあたしが見えない、そんな感覚を抱いていました。

とまあ、微細なことながら、穂村氏が本書に書いていることとあたしの感性には多少の違い(大きな違い?)がありました。

最大の差は、穂村氏には恋人がいる、そしてこのエッセイが進む間に、ついには結婚までしているってことです。書かれた話柄のかなりの部分に女友達、ガールフレンド、恋人が登場しているじゃないですか。もし、何かの間違いでこういう仕事(エッセイを書け、という仕事)があたしに回ってきたとして、あたしが一年間かそこら、こういう身辺雑記を書き綴ったとしても、絶対ガールフレンドとか恋人なんて登場しないだろうなあ、とだけは自信を持って(←これが悲しい現実)言えます。

なんか、結局は裏切られた感じがありますねえ。

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