2009年5月24日

卒業アルバム

部屋の書棚を整理していて、中学と高校の時の卒業アルバムが出てきました。やっぱり懐かしいものですね。ついついページを繰ってみてしまいました。

そんな想い出にふけるには、やはりバックには「卒業写真」が流れていないとダメでしょう。もちろんユーミンではなく、山本潤子さん@ハイファイセット、ですね。

中学の時のアルバムも高校の時のアルバムも、クラスごとの写真にしか、あたしは写っていません。クラブには、中学の途中まで野球部に入っていただけで、あとは無所属、通称「帰宅部」だったので、クラブ活動のページにも写真はありません。クラスの想い出とか、そういったページの写真にもあたしは写っていません。卒業アルバム委員が意識的に外したというよりも(それもあったとは思いますが)、その手の写真を一枚も撮られていない、というのが正解だと思います。

修学旅行も中学の時は行かなかったので写っているわけはなく、高校の時も集合写真にかろうじて写っているのですが、人の影になっていて、うっすらと存在しているだけです。これほど自分の痕跡の残っていない卒業アルバムというのも珍しいのか普通なのか......

少なくとも昨今は少子化でクラスの人数も少なければクラス数すらも少ないようですから、もっとちゃんと全員が写っているのではないでしょうか? それにそうしないと親がうるさそうですよね。もし、時代が今で、うちの親が口うるさいモンスターペアレントだったら、こんなアルバムを見たら「うちの子が全然写っていないじゃないですか、すぐに作り直しなさい!」なんて怒鳴り込んでいきそうなほど、あたしは写っていません。

でも卒業アルバムって、自分の写真なんかを想い出に耽って見返す人はいないでしょう? 何が見たいって、当時好きだった人の写真ですよ。誰もがそうではないでしょうか? 何年たとうが、何十年たとうが好きだったあの子はこのアルバムの中の姿のままなんですよね。特にあたしみたいに卒業後全く同窓生と顔を合わせていない人間の場合。

中学の頃は、いま思い返してみると、好きな子ってのは特別いませんでした。いたのかもしれませんが、高校の時に好きだった子の想い出がすべてを消し去っているみたいです。ただアルバムを見ていて思い出しました。あたしはこれまでの人生、一人も「ウマが合う」「この子とだったらずっとうまくやっていける」と思える人に出逢ったことがなかったと言ってますが、中学時代のクラスメートの女子に一人いました。彼女とは比較的仲がよく、毎年クラス替えのある中学時代に二年、三年と2年間同じクラスでしたから腐れ縁的な気持ちもありました。今改めて思い返しますと、彼女はたぶんあたしがこれまでの人生で出逢った女子で、一番気楽につきあえそうな女子だと思います。今、どうしているんでしょう?

高校の時のアルバムは、もう大好きだった乾さんしか目に入りません。いや、正直に言いますと、他にも「ああ、こんな人いたなあ」と目を留めた人は数名いましたが、それだけのことです。大好きだったと書きましたが、こういう風にアルバムを眺めていると今も好きなのかなあ、という思いにとらわれます。それが悪いか、と開き直ってみても詮無いですね。

その乾さんとはウマが合ったと思わないの、と聞かれると答えるのが難しいです。好きになっちゃったので、そういうレベルの問題じゃないんですよね。それに乾さんだったら、あたしが無理してでも合わせようと思います(なにせ、タバコを吸っても許せる唯一の人なんですから)。ウマが合うというのは無理せずに接することができる、ということだと思うのですが、乾さんだとやっぱり緊張して無理せずに、ってことはないと思います。むしろ気に入られようと思って、いろいろ無理しちゃいそうです。

とまあ、なんか卒業アルバムからセピア色の想い出に入り込んでしまいましたが、こんなことしてる場合なんでしょうかね、あたし。やはりいい歳をして恋に恋してるのでしょうか?

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