2009年4月22日

ひーーーーっ、すくりふ!

ようやく、ようやっと、『嵐が丘』を読了しました。後半の方が、人物描写にせよ、細部の描写にせよ、よくできていると感じました。確かに、女中ネリーの回想の形をとって進行していくわけですから、つい最近、ここ数年のことは詳しく、遠い昔のことは記憶もおぼろげになるのはやむを得ません。って、エリミー・ブロンテはそこまで意図して書いていたのでしょうか?

そして、最後まで好きになれなかったのは、語り部である女中のネリーです。こいつのせいで、この物語は起きたのではないか、人間関係がややこしくなったのではないかとさえ思えます。女中のくせに高慢ちきで、不遜で、自己顕示欲の固まりで、ヒールとしては実によくできた人物造形ではないでしょうか?

その反対に、物語中では痛罵されているヒースクリフが、あたしには全く悪人に感じられません。いろいろと謎の多い人物で、その謎解きは一切せずに物語は進行し結末を迎えますが、これもブロンテの意図なのでしょうか? なんでもかんでも親切に語りすぎる小説に慣れていると、こういう放り出された小説を読むのに苦労します。

それにしても、前半、キャサリンを失ったヒースクリフの哀しみも表現されていなければ、復讐を誓って戻ってくるという再登場の仕方もいたってあっさりしていて復讐心のかけらも感じられません。

これが後世に残る名作なのか、こうだから名作なのか、あたしには何とも判断がつきかねます。

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