上のトップ画像は北京五輪2年前ほどの北京・東単交差点だったと思います。バック画像は西安の兵馬俑博物館に展示されていた武俑です。

2005年4月30日

常用漢字の中国語読み

「中国語学習室」の中のコーナーに「称謂表」というのがあって、これは中国語で親族呼称を調べるためのコーナーです。充実しているとは決して言えませんが、お陰様で多くの方に覗いてもらっています。

このコーナーの質問箱って、称謂表で調べられなかった(検索しきれなかった)親族呼称について質問してもらうコーナーとして設けているのですが、自分の名前を中国語でどう言うのか、といった質問が多数寄せられています。

こういった質問は、質問箱の趣旨とは外れるので回答していませんが、これだけ聞いてくる人がいるとなると、自分の名前の中国語読みを簡単に調べたい と思っている人が多いんだろうなあと思われます。もちろん、中国語を勉強している人ならば中国語辞典を引けばよいのでしょうが、質問箱に書き込んでくる人 はそこまで中国語を勉強していないのでしょう。たぶん、周囲に中国人がいて、ちょっとはしゃべれるようになりたい、でも中国語学校へ行く余裕はないし、そ れでも自分の名前くらいは発音できたら...というところだと思います。

そこで、今日は一日、そのためのCGI設置をやっておりました。「友」を検索すると「庸」がヒットしたりする不具合があるのですが、とりあえずは設置できました。上記不正動作などの原因究明・修正は明日にします。明日は、これの携帯電話版も作らないと......。

ああ、こんなことをしながら、GWが終わっていくのね(懺悔)。

2005年4月28日

赤本と著作権

今朝の朝日新聞に、大学受験の過去問題集「赤本」に自分の作品が使われている作家が、著作権を言い立てたというような記事が載っていました。

つまり、自分の作品を某大学の入試問題として使用することは許可したけれど、それはあくまでその大学に対してであって、赤本などの過去問題集への掲載まで認めたわけではないということらしいです。

言い分はごもっともで、過去問題集を出している出版社も対応しないとならないでしょうね。今後も成り行きとしては、(1)きちんと許可を取り、それ 相応の使用料を作家に払い、過去問題集を出す。(2)使用料を払わない代わりに、該当する作家の作品が載っている過去問題だけ問題集から外す。(3)作家 側の言い分を無視する、の三つがあると思います。

まあ、(3)の方法をとることはないと思いますが、どのように決着することやら。多くは国語の問題集になると思いますけど、全部載ってない過去問題集を、受験生がどう思うか......。

うちもドイツ語・フランス語の検定試験問題集を出していますが、これらは検定協会などに使用料を払っているので、今回のような問題は発生しないと思いますが、他山の石とすべきでしょう。大学の場合は個々の大学とこういった取り決めをしないとならないのでしょうね。

2005年4月26日

なによ、この雨!

午後、いくつか仕事をこなして、さあ、外回りと思っていた矢先、一天俄に掻き曇り、暗雲垂れ込め、雷鳴轟き......すんごい雨、雨、雨! 久々に「バケツをひっくり返したような」雨でした。

通常の雨模様なら外回りに出かけますが、あの雨じゃとても外に出ようなんて気が起きません。でもにわか雨じゃないかな、少し待てば上がるよ、と高を 括っていたのですが、案外長い時間降ってましたね。結局会社にいると電話に出たり、他の用事が出てきたりとなって外出は出来なくなりました(涙)。まあ、 たまにはこういう日もあるさ!

さあ今晩は天海祐希主演の「離婚弁護士」でも見ますか! 割と会社の近所でロケやってるんですよね。

2005年4月25日

反日運動の行く末

この土日に大阪へ出張へ行ったことは既に書きましたが、出張先であったのが中国語の先生ばかりでしたので、やはり、このところの中国の反日デモことにも話が及ぶことがありました。

中国政府にとって、国内の大使館・領事館が暴徒に襲われガラスを割られるなどの被害が出たということは、日本に対してこそ歴史認識がどうだこうだと 言えたとしても、国際社会に対しては思いっきりメンツを潰してしまう事態だったと思います。なので、先週末についてはかなり厳重に取り締まり、その効果も 出たようです。

でも、取り締まろうと思えば取り締まれるというところは中国らしいです。それに土日にしかデモが行なわれないというのも、参加している中国人にとっては、なんだか週末の娯楽・レクリエーション的な気がしないでもありません。

それはそうと、あたしは個人的には今回の中国の反日行動やそれに対する日本人の反発というのが、意外とよいことではないかと思っています。

これまで日本と中国は本当に本音でぶつかったことがあるのでしょうか。例えば日中戦争の場合、日本は欧米に侵略されて苦しんでいる中国を救う、なん てきれいごとを述べていましたが、その美辞麗句に惑わされた日本人一般には中国と戦争をしているという意識がどこまで浸透していたのかと思うのです。中国 にしても、国民党と共産党が争っていて、日本と闘っているのか国共が争っているのか、どっちが主なのかわかりにくいところがあったのではないかと思いま す。

また戦後になると、国交回復以来、誰も彼もが「日中友好」というお題目を唱え、何をするにもまずは「日中友好」ありきでした。

ですから、実は日本人の中にも中国人の中にも、ある種のマグマのようなものが溜っていた面があったのではないかと思うのです。それが今回の騒動で吹 き出したのであるなら、お互いこの際だから言いたいことを言い合って、気持ちをすっきりさせ、その上で未来に向かおうというのも、決して悪くはないんじゃ ないかと思うのです。

こんなことを書くと誤解されそうですが、いつまでも「日中友好」のお題目だけ唱えていればよいという時代・関係は、とうに過ぎ去っていると思います。

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