上のトップ画像は北京五輪2年前ほどの北京・東単交差点だったと思います。バック画像は西安の兵馬俑博物館に展示されていた武俑です。

2005年9月 4日

読書感想文

今朝の朝日新聞の投書欄に、七十代のおじいさんの投書が載っていました。曰く、孫の読書感想文がなかなか進んでいないが、規定枚数を課したり、感想文を書くために読書をさせるのはいかがなものか、と。

この種の意見、しばしば言われます(耳にします)し、あたしも小学生の頃、そう思ってました。とは言っても、あたしの場合、作文は好きでしたし、読書も好きだったので、苦になることはなかったのですが、いちいち感想文を出せなんて面倒くさいなあと思ったものでした。

でも、この手の苦痛というか試練というのは、やはり必要だと思います。例えば受験勉強。ほとんどの知識は受験が終わった瞬間に不必要となるようなも のばかりです。確かに人生に必要な知識・知恵を身につけるには、それより多くの知識を学ばないと必要な量(?)の知識が身につかないというのはわかりま す。受験勉強というのは、そんな風に納得させてやってました。

でも、上に書いた読書感想文もそうなのですが、若いときには「嫌なことをいやいやでもやらなければならない」という経験をすることが実は大事なのだと時間が経ってから気づきました。

例えば試の現代文などでは、「何字以上何字以内で書きなさい」といった記述問題がよく出ます。感想なり意見なりというのは、何字で表現してもよさそ うなものです。でも設定された字数できちんとまとめ上げるというのも大切な技能(身につけるべき技能)だと思うのです。テストの時間制限だって同様です。 よく「テスト時間が足りなくて、最後の二問ができなかった」なんて声を聞きますが、制限時間内に終わらせるというのも、これまた大切な技能です。

時間が足りなかったという人は、たいていの場合、ある問題に時間をとられてしまっているものです。問題全部を見渡して、簡単に解けるものからどんどん解いていく、こういった技術を身につけるのが、実は主眼なのではないかと思います。

こういった意味で読書というのも、ある程度は<嫌々でも読む>という時があっていいかと思います。少し前の話ですが、本屋大賞の話を書店員さんとし ていて、「こういうことでもないと、自分がふだん読まないジャンル・系統の本を読む機会ってないから、大変だけどよかった」という感想を聞きました。あた しもノミネート作品の内、二つ三つ読んでみました。書店営業という仕事をして、書店員さんと日常的に接していればこそ、自分からは読まないような本に出会 うことってあり、それは嬉しい邂逅です。

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