上のトップ画像は北京五輪2年前ほどの北京・東単交差点だったと思います。バック画像は西安の兵馬俑博物館に展示されていた武俑です。

2005年9月 1日

三成って......

昨日の晩、NHKの「その時、歴史が動いた」を見ました。石田三成って一般には人望がなかったので関ヶ原でも寝返りが多かったと言われてますが、実際には直属の配下には一人の裏切り者もなかったとかで、人望のある君主だったと述べていました。

でも、歴史を見ると部下には慕われても他の武将からは尊重されない人や、またその逆のパターンってありますよね。結局、石田三成ってそんな人だったんじゃないかと思うんですけど。

この番組中で、徳川幕府の仕組みは豊臣政権(三成の目指した政権)とほとんど変わらないと言われてましたけど、こういった説を聞くと歴史の妙を感じます。だったら、なんで豊臣政権は短命に終わったの、という疑問です。

あたしの専門とする中国史を見ても、短命の秦を引き継いだ漢、短命の隋を引き継いだ唐、という見事な具体例があります。これを同列に扱っていいか疑問ですが、短命な中華民国と中華人民共和国なんてのもあります。

いきなり大きく歴史を揺り動かされると、いろいろなところで抵抗や摩擦が大きくなるのですかね。それを一回経験した後だと、ちょっと元へ戻しただけ(フリをしただけ?)でも安心感を与えられるのでしょうか?



コメントする