上のトップ画像は北京五輪2年前ほどの北京・東単交差点だったと思います。バック画像は西安の兵馬俑博物館に展示されていた武俑です。

2005年4月 3日

「書物復権」オープニングセッション

昨夕は、新宿の紀伊國屋ホールで<書物復権>のマンスリーセミナーのオープニングセッションとして、宮下史朗、鹿島茂、今橋映子三氏によるオープニ ングセッションが開かれ、聞きに出かけました。お三方とも、あたしの勤務先で本を出されていますので、関係者と言えば関係者ですね。もちろん、会場にはあ たしの勤務先の人間が何人も来てましたが。

「本の底力」と言うテーマでの三氏のお話、三者三様で面白かったです。宮下氏は今月凸版の博物館で開かれる展観の紹介を兼ねたヨーロッパの出版文化 のお話でした。それにご自身の翻訳活動の話などをちりばめて進みました。既に学術的にも名訳とされているものがあるのに、新たに翻訳を企てても出版社や編 集者から「既に和訳があるのに、なぜ?」としばしば言われるそうです。宮下氏曰く、どんな名訳でも時代が変わると現代の人には必ずしも名訳とは限らないわ けだから、現代の人に向けた翻訳を出す意義はあるのだと。

あたしの勤務先は仏文が何と言っても中心の会社で、フランス文学は何よりも素晴らしい、すごいんだ、という意識を持った人が社内には大勢いるようで す。あたしみたいに中国学をやってた人間には至極間抜けに見えてしまいますが、社内ではむしろあたしが異端なんです。でもこういう宮下氏の話を聞いて思い ました。例えば、あたしが専門としている中国学、「論語」なんていったい何種類の翻訳があります? 「論語」以外にも老子、孫子、史記、三国志など。翻訳 だけでなく翻案あり、独自の小説あり、ビジネスマンのための的な本もあり。フランス文学なんて足元にも及ばないほど、日本社会に受け入れられているんです よね。そんなことを講演を聞きながら考えていました。

鹿島氏は一転してお金に絡む話でした。かつて本は高価なものだったという話は、どこかで聞いたような読んだような話柄ですが、だから、そろそろ低価 格競争はやめて高価格路線に転じるべきだと、書き手の原稿量の少なさを引きつつ、ユーモアたっぷりのお話でした。本が高価だった時代の平均賃金と書物の値 段を比較すると、現代なら書物は平均2万円程度になるべきだそうですが......。当時とは娯楽や楽しみの対象が格段に広がっていますから、本だけにつぎ込める お金って減ってますよね。もちろん、当時だって本以外に楽しみはあったでしょうけど、今よりはきっと少なかったはずですから。現代はあまりにもお金のかか る楽しみが多すぎるような。と言うよりも、これは何かで読んだのですが、お金を使わないと楽しめないのが現代人だそうです。田舎のようなところで、現代っ 子は遊べなくなっているそうなんです。昔の子供ならいつの間にか自分たちで遊びを考案してやり始めるだろうに。

今橋氏はご自身の大学での体験を話されました。決して若者に活字離れは起こっていない、本を読まなくなってはいないとおっしゃていました。ただ、今橋さん、教えているの東大でしょ、やっぱ学生の質が違うよ、と(出来れば認めたくはないのですが)そう思ってしまいます。

今橋さんはご自身の体験から、毎年学生に「この本を読め」と言うことを意識して言っているそうです。そうすると何人かは買って読んでくれるそうで、一年、二年たって「先生が読めと言ったから読んだけど面白かった」など感想を言いに来てくれる学生がいるそうです。

また授業でやったこととして、ある本を課題として学生に買わせ、その(感想文ではなく!)帯文句を考えさせる、ということをされたそうです。言葉だ けで課題としてはOKなんですが、今時の学生はパソコンを駆使してきちんと「帯」を作ってきたりするそうです。ありきたりなものが多い中、中にはなかなか 面白いもの、ハッとするようなものもあるそうで、学生もおもしろがって作業に取り組んでいるそうです。


さて、こういう本にまつわる楽しい話を聞いたわけですが、会場は有料だったせいか満席にはならず、4分の1くらい(3分の1?)は空いていたわけで、聞き に来ている人もこの業界関係者ばかりで、こういった取り組みが、この会場を飛び出して、それこそ新宿の繁華街をうろうろしている若者に届かせるようにする にはどうしたらよいのか、それを考えないといけないんだろうなあ、と漠然と思いました。

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