袋小路の男【続】
絲山秋子『袋小路の男』収録の「小田切孝の言い分」「アーリオ オーリオ」読了。
最初に読んだ「袋小路の男」はやや薄い感じがしましたが、「小田切...」を読むとずいぶんと印象が変わります。「小田切の」というように、今度は男の 側からの視点で書かれているはずなのですが、「彼女」の視点も織り込まれていて、男女の意識の違いというものが、なかなか面白く切なくなります。
何の関係もない、全くの<ともだち>という関係の二人ですが、彼女の方は本当はもう一歩踏み込みたいのに、それを畏れていて、そのまま月日が過ぎてしまって......。なんか、わかります。
それでもこの小説の彼女の場合、今も彼と会いもすれば話もするだけ羨ましいと思うのですが、会えるから、話せるから、よけい切なさも募るのかもしれません。案外、あたしのように想い出だけを引きずっている方が、幸せなのかもしれないと、しみじみ思います。
「アーリオ オーリオ」は、主人公が私と同じくらいの年齢で独身で、人付き合いがあまりうまくなさそう(内向的というのでしょうか?)なところが、妙に親
近感を覚えます。主人公の勤める清掃工場って、昔あたしもその側に住んでいた「高井戸清掃工場」じゃないかしら、などと思って読んでました。
この主人公、でもちょっとあたしと違うところがあります。まず、月に一度一緒に星を見に行く親友がいることです。あたしは、ほとんど人とどこかへ出かけるということがないので、もちろんそういった友人などいません。そもそも<親友>と呼べるような友もいないし。
あと、主人公は少し前まで彼女がいたことです。これも、あたしには想像も出来ないシチュエーションです。結局主人公はその彼女とは別れてしまったわけですが、果たして<彼女>と呼べるような存在だったのか......。このあたりの男女の機微って、あたしにはよくわかりません。
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